Okamoto Ladies' Clinic

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NEWS
(2022年新着情報)

TOPICS
(2022年各種案内)

妊婦健診の際の計測について(2022年8月)

お盆休み(2022年7月)

子宮頸がん検診(2022年6月)

スタッフの加入と復帰(2022年5月)

不妊治療の保険適用(2022年4月)

令和4年度診療報酬改定(2022年3月)

外来予約(2022年2月)

本年もよろしくお願い申し上げます(2022年1月)

「ルージュの伝言」と山下達郎(2022年8月)

ディフュージョン/セカンド(サード)ライン vs. 高級化路線(2022年7月)

日本文学の大スタア〜筒井康隆(2022年6月)

本屋さんpart.5(2022年5月)

「日本沈没」(2022年4月)

オリンピックの4位(2022年3月)

君の街から本屋が消える(2022年2月)

新春雑感(2022年1月)





NEWS
(2021年新着情報)

妊婦健診の際の計測について(2022年8月)

妊婦健診時、本年の4月1日から原則、子宮底長と腹囲の計測を省略しています。(ご希望かどうか確認して、測定する場合もあります。)
また、超音波断層検査の胎児推定体重の計測を(従来は東大式で計算しておりましたが、)阪大式で行います。

以上、よろしくお願い申し上げます。

 

 

お盆休み(2022年7月)

8月15日(月)の外来診療をお休みします。

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

子宮頸がん検診(2022年6月)

5月9日から12月30日までの間、福知山市の子宮頸がん検診が行なわれます。
20歳以上で奇数年齢の女性が対象で、費用は700円です。
(70歳以上の方は無料です。)
ご希望の方は、予約されるか、直接当院にお越し下さい。

子宮頸がん検診(子宮頸部細胞診)、子宮体がん検診(子宮内膜細胞診)は、 ご希望があれば、いつでも施行可能です。

 

 

スタッフの加入と復帰(2022年5月)

当院スタッフの加入と復帰がありました。

外来受診、入院される方のお役に立てるように、スタッフ一同努力いたしますので、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

不妊治療の保険適用(2022年4月)

令和4年(2022年)4月から不妊治療が保険適応されます。

一般不妊治療(タイミング法、人工授精など)、生殖補助医療(体外受精、顕微授精など)とも保険適用になります。(生殖補助医療には年齢制限、回数制限があります。)

ご本人とご主人の希望に沿って、一般不妊治療と生殖補助医療の準備を行いますので、ご相談ください。

(画像クリックで拡大します)

 

 

 

 

令和4年度診療報酬改定(2022年3月)

令和4年4月1日に診療報酬が改定されます。
それに伴い、保険分のご負担と自費分の費用も一部変更されます。

明細書などに疑問な点がありましたら、遠慮なくスタッフにお尋ねください。

(画像クリックで拡大します)

 

外来予約(2022年2月)

当院の外来診療は予約制になっています。予約なしで受診される場合は、待ち時間が長くなる場合があります。

予約されていても、諸事情により予約時間に診療できないことが多々あります。申し訳ありませんが、ご理解お願いいたします。

 

 

 

 

本年もよろしくお願い申し上げます(2022年1月)

令和4年(2022年)が始まりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 



TOPICS
(2022年各種案内)

「ルージュの伝言」と山下達郎(2022年8月)

 荒井由実の「ルージュの伝言」は言わずと知れたエポックメイキングな曲です。東芝EMIから1975年2月20日にリリースされた5枚目のシングルであり、同年6月20日に発売された3枚目のオリジナルLPアルバム「COBALT HOUR」のA面5曲目です。吉田拓郎が、オールナイト・ニッポンで“この音楽はウーム”と発言したように、それまでの日本の所謂フォークソングとは一線を画した、新時代的で、明るくpopで、豊かになりつつある日本を感じさせる名曲です。

 松任谷正隆の「僕の音楽キャリア全部話します」によると、最初この曲はもう一歩の出来だったそうで、“コーラスを山下達郎に頼むと、吉田美奈子とター坊(大貫妙子)と伊集加代子さんを集めてつくってくれた。あれで抜群のアメリカン・ポップになりました。だから、「ルージュの伝言」に関しては、山下の力がすごく大きい。結果的に由実さんのポップ・シンガー路線を開拓してくれました。”と感謝されています。

 BRUTUS7月1日号によると、山下達郎がユーミンのバックコーラスに参加するのは1974年「MISSLIM」のレコーディングからで、「12月の雨」と「瞳を閉じて」のコーラスをディレクターが気に入って、“もう2曲やってほしい”ということになり、数日後に「たぶんあなたはむかえに来ない」と「生まれた街で」を録ったそうです。「あなただけのもの」は女性3人でと注文されて、吉田美奈子と大貫妙子に加えて、矢野顕子が参加したそうです。凄いメンバーですね。

 こうして、山下達郎の音楽の仕事は、ほかのミュージシャンの作品へのコーラス参加から始まったようです。音楽に造詣が深く、随一の達郎マニアでもある進行役のクリス松村が、“最初は大変な時代もあったんですね。”と語りかけると、山下達郎は、“そんなものですよ。まだ何も始まってなかった。”と答えています。そこからの彼の怒濤のキャリアは実に興味深いです。“達郎さんが手がけた仕事を知ることは、日本のポップスの歴史を知ること”とBRUTUSのTATSURO’S MUSIC BOOK(山下達郎の音楽履歴書)のプロローグは語っています。

 山下達郎は、ファースト・ソロ・スタジオ・アルバム「CIRCUS TOWN」のA面NEW YORK SIDE収録の際、“プロデューサーのチャーリー・カレロと仕事をしたことにより、ロックン・ロールというものの時代を貫く普遍性が体感できた。あの体験がなければ、新しいものには見向きもしないで、恐らく自分が十代に聴いて感動した音楽を追いかけて、オールディーズ少年をやっていただろうな。重要なのはそういうことじゃなくて、ドゥーワップ好きでもラップはできる、こんな感じかなって思った。”と話しています。私も、少なくとも自分の仕事に関しては新しい知見にアップデートしていこう(でも、音楽はオールディーズで良いかな)と思います。

 

ディフュージョン/セカンド(サード)ライン vs. 高級化路線(2022年7月)

 我が家のカトラリーは何十年も前に購入されたクリストフルのステンレス製で、今でも十分綺麗で現役です。優雅にシルバー製を日常使いにするのも素敵ですが、執事やメイドに囲まれた富裕層ならいざ知らず、私たちにはステンレス製カトラリーが実用的です。ディッシュやカップ&ソーサーは日用品としては、ロイヤル・コペンハーゲンの‘ブルーフルーテッド’とヘレンドの‘ウィーンの薔薇’を使います。ブルーフルーテッドは(若い頃は)地味だなと思っていましたが、実はどんな料理にも良く合い、(今では)好きです。ヘレンドのカップは若干華奢ですが、それ以外の製品は割れずに何十年も使えています。リーデルのワイン、シャンパーニュ、ブランデーグラスは各種揃えていますが、全てマシンメイドです。(特にシャンパーニュグラスはステムがとてもよく折れます。)バカラはアルクールとマッセナがありますが、普段は圧倒的コストパフォーマンスを誇るグラス・ジャパンとイヤー・タンブラーを使います。ディフュージョン/セカンド(サード)ラインでも、そのブランドの名前が付いていれば、手抜きは出来ないものです。

 ロレックスに対するテューダー、ジョルジオ・アルマーニに対するエンポリオ・アルマーニ、シャトー・マルゴーに対するパヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴーなどセカンドラインが個人的に気に入れば、その人にとっては最高の製品となります。(ロレックスもアルマーニも私の興味の範疇外ですし、マルゴーはセカンドラベルでもよいお値段するなと思いますが。)車も時計もファッションも日用品も全て自己満足の世界ですから、身の丈に合った、好みのものを選べば良いと思います。

 一方、報道によると、メルセデス・ベンツはエントリークラスを削減し、収益性を向上させるためにハイエンドモデルに注力すると発表しました。「エントリー・ラグジュアリー」、「コア・ラグジュアリー」、「トップエンド・ラグジュアリー」という横軸、さらにマイバッハ、AMG、Gクラス、EQというサブブランドの縦軸に加え、コレクター向けの限定生産となる「Mythos(ミトス)」シリーズにて構成されるそうです。私が子供の頃には、メルセデスのセダンはSクラスとコンパクトクラス(今のEクラス)しかありませんでしたし、グリルにスリーポインテッド・スターが付くのはSLなどのスポーツモデルのみでした。メルセデス・ベンツは世界で最も成功したブランドの一つですので、きっと先祖返りの高級化路線は成就することでしょう。でも、私がお金持ちならば、マイバッハやミトスよりロールスロイス、AMGよりフェラーリやマクラーレンを選択するでしょう。(富裕層なら、そんなケチ臭いことを言わないで、両方とも買うのかも知れません。)

 

日本文学の大スタア〜筒井康隆(2022年6月)

 筒井康隆は鬼才だ。純文学、大衆文学、SFなどのジャンルにとらわれない、まさに日本文学の大スタア、同志社の誇り。作家、ミュージシャン、映画監督、漫画家など様々な分野において、筒井のファンは多い。

 筒井康隆の「日本以外全部沈没」は私が持っている本では、角川文庫の「農協 月へ行く」に入っている。1974年に小松左京が「日本沈没」で星雲賞日本長編部門をもらった時に、筒井康隆は「日本以外全部沈没」で星雲賞日本短編部門をとった。対談で、小松が“おれは書くのに九年かかったのに、筒井さんは一週間ぐらいで書いちゃってさ。”と言うと、筒井は“申し訳なかった。「日本以外全部沈没」ってのは、タイトルつけたの星さんなんだよね。みんなね、こんなバカなの誰も書かないだろうと思っていろいろと冗談言うんですよね。ベ観公「ベトナム観光公社」もそうだよね。あれは小松さんだっけ。”そうなんや、あの名作「ベ観公」は小松左京のアイデアか。星新一、小松左京、筒井康隆の三巨匠はこうして関わり合っていたのか。

 でも、改めて筒井康隆の昔の作品を読んでみて、これは今の時代には書けないな、と思う部分がいっぱいある。現代は、小説や音楽、ドラマや映画などコンプライアンスに縛られすぎているとも感じる。文庫の巻末には、“現在の人権擁護の観点から不適切とされる表現がありますが、作品執筆当時の時代背景を考慮して、そのままといたしました。”と付け加えないといけないらしい。

 

 

本屋さんpart.5(2022年5月)

 京都の本屋さん巡りをしてみました。

 まず、前衛的な外観であった北白川の「ガケ書房」の跡を継いだ「ホホホ座浄土寺店」です。店主の山下賢二さんは、白川通りをちょっと下っただけで、今出川を境に学生が来なくなり、お店は「やけに本が多いお土産屋」です、と言われます。二回生から岡崎に移る前に1年間だけ、浄土寺のワンルームに私は住んでいました。何故かヌババハウスと呼ばれていて、同級生も複数おり、そのうちの一人は田舎者の私にカルチャーショックを与えた例の彼です。その頃の浄土寺は市バスの錦林車庫があるくらいで、ほんま何にもないところでしたが、今はちょっとしたカルチャーの発信地になっているようです。来店の記念に「ガケ書房の頃〜そしてホホホ座へ」を買いました。確かに本屋とは言い難い、独特の雰囲気の店でした。

 次に、河原町丸太町の近くの「誠光社」へ行きました。「恵文社一乗寺店」の店長をされていた堀部篤史さんが独立、開業された本屋さんです。「恵文社一乗寺店」はかつてイギリスのガーディアン紙が発表した「The world’s 10 best bookshops」に選ばれたこともある有名店で、“If you love bookshops even where you can't read the language, then Keibunsya in Kyoto needs to be on your list too. Some say it's the lighting, others the well-proportioned panels around the walls. Or perhaps it's the little galleries embedded in the bookshelves. Most agree it's just the quiet dignity of the place that's hard to beat. Lots of pretty Japanese art books to marvel at and a few English language ones as well. ”と紹介されています。「誠光社」は書籍の独立系セレクトショップとして優秀です。思わず写真の4冊とCREAの贈り物特集号を買いました。また行きたいな、と感じました。

 京大生協「ショップルネ 書籍コーナー」に随分久し振りに行きました。生協の会員だと書籍の割引があり、お得です。京大関係の作家のコーナーを覗いたり、知らないジャンルの全然理解できない本を開いたりするのが楽しいです。

 最後に、ロームシアター京都の「京都岡崎 蔦屋書店」に寄りました。家から近いし、品揃えも考えられていて、もうここだけでもええわ、と思いました。そして、茶花の本を妻へのプレゼントとして買いました。(結構良い本だったらしく、珍しく誉められました。)

 

 

「日本沈没」(2022年4月)

 小松左京の「日本沈没」をやっと読了しました。テレビドラマ「日本沈没-希望のひと-」が昨年の10月10日から12月12日までの放映で、放送中から読み始めたので、随分かかりました。私は‘本好き’を装っていますが、全然大したことありません。読むのも遅いです。姉の次男は中学生の頃に図書室の本を全部読んだらしく、これは話のネタかと思っていましたが、本当のようです。それがその後の‘頭脳王’、‘東大王’に繋がったのかも知れません。彼は兎に角読むのが早いし、内容をよく覚えています。クリエイティビティについては未知数ですが、どのような道に進むのか、楽しみです。東大文学部倫理学科を卒業し、大学院に進学した妹の次男も、現在学んでいることをそのまま職業にするのか、あるいは趣味にとどめるのか、を悩んでいるようです。どちらにするにせよ、ラテン語で原書を読むことができるのは素敵なことだ、と私は思います。

 「日本沈没-希望のひと-」の脚本は原作とはかなり異なります。最終的にドラマでは、北海道、青森県北部、九州が沈没しませんでしたので、本州・四国沈没であり、その後の日本と日本人の運命が小説とは大きく変わります。ネット上では、筋立てやCGに対する批判や、日本未来推進会議のメンバーの軽さなどについての良くない評価などもありましたが、私は毎回観ました。小栗旬、杏、香川照之は好きな俳優ですし、石橋蓮司、國村隼らの演技はさすがでした。その後、経産省の常盤紘一(松山ケンイチ)は東山栄一首相(仲村トオル)と共に北海道に移り、やがて経済産業大臣になり、将来の総理大臣候補として期待されます。環境省の天海啓示(小栗旬)は毎朝新聞の記者である椎名実梨(杏)と共に中国に渡り、ジャパンタウン建設に尽力した後に、国連に所属し環境調査のため各国を転々とするようです。

 小松左京の「日本沈没」は大作です。誰もがまず驚くのは、地球物理学や地震学をよく研究し、日本沈没の経過をリアルに描いている点です。京大文学部卒の筆者ですが、理系の素養もあったのでしょう。上巻の日本列島周辺海洋図、地球構造図、ヴェゲナーによる大陸移動の歴史、日本列島の深発地震傾斜図、気団とマントル対流の相似性など、わかりやすく説明されています。(現在の知見とは異なる部分も勿論あります。)1973年の初版刊行後に、大学の地球物理学関係の学科を専攻する学生が急増したと、巻末の解説で上田早夕里さんが書いています。「ブラタモリ」で地学についての見識が高いことを嫌味なく表現しているタモリさんに、「日本沈没」についての感想を聞いてみたいものです。

 下巻の第五章「沈み行く国」は見事です。八丈島が沈む時に、“島はただ海上に顔を出す岩塊でなく、植物と動物と人とがその中で共棲する「家」であり、それ全体が一つの「生き物」なのだ。八丈一島についてさえ、そこを訪れたことのあるもの、いわんやその島に、代々住み、生活してきた人にとっては、その喪失はいかばかりか堪えがたいことだろう。まして、それが……。”と語りかけています。“日本と日本人のアイデンティティー”がまさに本作のテーマの一つでしょう。“明治大正昭和も、一般民衆にとっては、一種の鎖国だった。”と日本人の抜きがたい「同胞意識」、「共同体感覚」、「最後は何とかしてくれるという国に対する甘え」、「危機における従順と諦念」についても言及しています。

 一方、日本以外の国々についての描写もまたリアルです。タンザニアのンバヨ国連日本救済特別委員会委員長が、“この問題は、日本という極東の特殊な一国の問題と考えずに、地球史的、人類的事件であり、人類全体の、道義的試練と考えるべきである。”と語ってくれたことには拍手喝采でしたが、その理想主義的会議の背後で、ドライで非情な各国の思惑が蠢きます。“それなりに近代史において政治的・経済的に重要な役割を果たし、近隣諸国に大きな圧力を与えていた日本が「消滅」する”のですから、世界のパワーバランスは変化し、各国とも自らの国益を考えて行動します。“アメリカにとって、極東におけるソ連の圧力の、最大の「防波堤」として、アメリカの役割の大きな部分を肩がわりしてくれるのは、大陸中国にほかならなかった。”と言う記述は、ソ連が崩壊し、(でもロシアがウクライナ侵攻を企て、)大国としてのアメリカと中国の対立を見る現在、様変わりしたなあ、と思わせます。

 エピローグの「竜の死」では、“悶え、のたうち、毒を吐きつつ死んでゆく「竜」”にたとえた日本を“かつておのれの体の一片を持って生み出した年老いた母なる大陸は、いたましげな眼つきで見まもっているようだった。”というところが印象的でした。そして、“全世界の眼も「竜の死」に注がれ、それは全世界の人類にとって、残酷でいたましいが、しかし興奮をさそう大スペクタクルだった。”という部分は、衝撃的なニュースが起きて、多少感傷的になっても、野次馬的興味はあるが、所詮他人事である、という人間の悲しい性を表しています。“全世界の人々の中でも、とりわけはげしい、気も転倒せんばかりの興奮の渦にまきこまれていたのが、世界中の地質学者、地球物理学者たちだったことはいうまでもない。”というのはまさにその通りで、実に皮肉なことです。田所博士も、これが日本以外の国の現象であれば、歓喜し、(場合によっては現地に赴き、)その観察・研究に没頭したことでしょう。でも、南極の奥地以外世界中を回った田所は、“あちこち見てまわったうえで、私は日本列島に恋に落ちいったのです。”と言い、“この島がほろびるときに、一途に惚れぬいた私がいてやらなけらば。”と沈みゆく日本に残るのでした。その気持ちは、わかる気もすれば、わからない気もします。

 「日本沈没」を読み終えて良かった、と心底思いました。

 

 

オリンピックの4位(2022年3月)

 今から50年前の1972年(昭和47年)2月6日、札幌冬季オリンピックの70メートル級ジャンプ(宮の森)で、笠谷幸生選手、金野昭次選手、青地清二選手の「日の丸飛行隊」が金・銀・銅メダルを独占した。冬季五輪での日本の金メダル獲得はこれが初めてで、子供だった私は歓喜し、2月11日の90メートル級ジャンプ(大倉山)に思いを馳せた。下馬評では、笠谷の二冠とか、金野の方が金メダルに近いとか、言われていた。結果、1回目に2位につけていた笠谷は2本目に横からの突風にあおられて7位、これが日本選手の最高位であった。私は大いに落胆し、暫く福知山の街を彷徨った。他の日本国民も、私と同じ気持ちだったろう。(知らんけど。)

 あれから50年、Japan as Number Oneと思い思われた時代を経て、日本の国力、経済力は翳りを見せている。(元より政治力、外交力は無かったが。)自然科学の分野でも、現在の所はノーベル賞を多数輩出しているが、これらは過去の遺産であり、将来は激減すると言われている。人口もどんどん減っていき、一体日本はどうなるのだろう、と思ってしまう。しかしながら、economic animalと呼ばれブイブイ言わせていた頃と今と比べると、どちらが日本人の民度が高いであろうか。言うまでも無く、今の方が成熟した国民になったと言える。日本選手がオリンピックでメダルを取れば勿論嬉しい、況んや金メダルをや。でも、一発勝負の本番で、予期せぬ失敗、風などの不可抗力、不可解な判定などにより、実力より下の順位に沈むことがある。結果の解析や今後の改善などは大事な事だが、失敗した結果を以て、選手やコーチを非難する日本国民は少ない。今回の北京冬季オリンピックでは、小林陵侑選手がジャンプノーマルヒルで金メダル、ラージヒルで銀メダルの快挙であった。ラージヒルでも当然金を期待していたが、2位に終わっても素晴らしいと思えた。

 オリンピックメダリストが誕生する中で、あと一歩のところで、メダルを逃した選手がいる。オリンピック4位。世界のベスト4、でもメダルはもらえない。

 既にレジェンドであるフィギュアスケートの羽生結弦選手、スノーボードHPのショーン・ホワイト選手の4位はまさに絶妙であった。勿論、二人とも金メダルを目指していただろうし、前者の金、後者の平野歩夢選手に次ぐ銀を私も期待していた。羽生がSPで8位になった時点で、総合4位になると私は予言して、結果ちょっとだけ妻に褒められた。ネーサン・チェン選手の金は確定的だったし、鍵山選手、宇野選手の銀・銅で良かったと思う。ショーン・ホワイトが平野ら後輩のメダリストを祝福するシーンもとても絵になった。

 女子モーグルの上村愛子さんのオリンピックの成績は長野7位、ソルトレイクシティ6位、トリノ5位、バンクーバー4位、ときて次は3位以上のはずだったのに、ソチでも4位だった。自身もシドニー五輪背泳200mで4位だった萩原智子さんは、“しかし上村愛子選手がオリンピック5大会連続入賞をしている現実を忘れてはいけない。競技復帰すること、世界トップで戦い続けることがどんなに難しいことなのか。メダルには届かなかったが、ベストパフォーマンスをした上村選手。最後の最後、笑顔で「すがすがしい気持ち。」とインタビューで答える彼女の姿が、誰よりも輝いて見えた。どんな状況でも環境でも、守りではなく攻めの姿勢で、チャレンジした彼女から沢山のことを教えてもらった。「ありがとう」と伝えたい。”と語っている。(ほんまそれ。)そういえば、上村さんの御主人の皆川賢太郎さんもトリノ五輪のスキー回転で3位と0.03秒差の4位だった。

 オリンピックのメダル(2014年2月)にも書いたように、ソチ五輪で女子スキージャンプの高梨沙羅選手は圧倒的強さで「金メダル確実」と言われたが4位だった。平昌で銅メダルを獲得したが、北京では個人4位、混合団体はご存じのように1回目飛躍の不可解な失格で4位だった。しかしながら、ワールドカップでは現時点で男女通じて歴代最多の63勝、スキー界で最も権威があると言われるホルメンコーレン・メダルをノルディック複合の萩原健二さん、ジャンプの船木和喜さん、葛西紀明さんの日本人レジェンドたちと並び、受賞している。そういえば、King of Skiと呼ばれた萩原健二さんもオリンピックでは団体で2個の金メダルを取っているものの、個人ではリレハンメルと長野の4位が最高である。

 オリンピアンというだけで凄いことである。まして、オリンピック・メダリストであれば、一生その肩書きで呼ばれる。でも、オリンピックだけが試合ではない。マラソン15戦10勝の瀬古利彦さんは、オリンピックに限ると、金メダル最有力であったモスクワ五輪は西側諸国のボイコット、ロサンゼルスは14位、ソウルは9位と残念な結果に終わっている。でも、本人やライバルたち、そして世界中のマラソンファンが、瀬古は世界一の実力者である、と認める時代が確かにあった。彼に限らず、オリンピック・メダリストでなくても、人の記憶や心に残る選手はいっぱい存在すると思う。

 

君の街から本屋が消える(2022年2月)

 四条通の「ジュンク堂書店京都店」が惜しまれながら無くなり、四条烏丸の「大垣書店四条店」も昨年の10月に閉店した。「大垣書店京都本店」が2019年3月にすぐ近くの京都経済センター1階の「SUINA室町」にできたので、この移転統合はやむを得ない。四条店では、入口近くに設けられていた特集コーナーの本を外商カードを利用して買っていた。閉店のニュースは娘から聞いた。妻と同様に、阪急京都線と地下鉄で10年間烏丸今出川の同志社キャンパスに通っていた長女にとって、「大垣書店四条店」は本や文房具を買っていたお店であったが、今は「大垣書店京都本店」がお気に入りである。

 我々世代なら京大生の時分に必ずお世話になったことがある書店が京大正門前(吉田神社前)にあった。京都大学新聞の「京都ナカニシヤ物語 教科書販売書店の系譜(2010.6.16)」によると、“ナカニシヤ書店の歴史は、昭和3年(1928年)に始まり、平成2年(1990年)に終わる。旧制三高、京大の学生・教官に一番利用された書店であり、1960年代後半の大学紛争時代には、衝突で怪我をした学生の救護所が書店内に設けられ、従業員が怪我をした学生に包帯を巻いたこともあった。キャンパス内では会議を学生に妨害されるため、場所に困った教授たちが書店の二階でこっそり集まり、教養部の教授会が開かれたという逸話もある。1950〜60年代に京都で書籍売り上げ3位を誇ったナカニシヤ書店だが、昭和の終わりごろになると暗転する。本の小売で京大生協と価格競争に発展したためだ。生活協同組合は再販制度(定価販売の制度)を順守する義務を負わないため、定価から割り引いて販売することができる。加えて全国組織の生協は大量仕入れで単価を抑えられるため、価格競争が進むとナカニシヤ書店は経営が苦しくなる。ついに80年代末、閉店を決めた。” たまたま東一条通を通りかかった際に、ナカニシヤ書店が無くなり写真館のビルが建っているのを見た時には驚いたが、確かに同じ本が10%安かったらみんな生協で買う、と思う。しかしながら、サロン的雰囲気があり、“初めてナカニシヤで見つけた本が、今の自分の研究分野につながっています”と惜しむ教授たちが何人もいたため、中西兄弟は「ショックを受けた」そう。苦しくても続けていれば…そんな思いに駆られたという。”から、貴重な存在だったのであろう。(そういえば、以前に跡地の「中尾写真場」で家族写真を撮ったことがある。)

 かつてよく行っていた河原町通の駸々堂書店、オーム社書店も撤退して久しい。皆に親しまれていた店が無くなり、新しい店がオープンするのは、どんな業態でもよくあることだ。ただ、店舗数が保たれるためには、新規開業がないと…。

 書店調査会社のアルメディアによると、2000年に21,654あった書店が、2020年には11,024に減少している。確かに、AMAZONで買えばすぐに家に届くし、重たい本を持ち運ばなくても良い。でも、実際に書店へ行くと、新しい発見が必ずある。それは、自分の専門分野かも知れないし、未知のジャンルかも知れない。本屋は文化の発信地であり、私たちを新たな世界へ連れていくパサージュに繋がるドアなのである。だから、地域の書店は本当に大事にしたいものである。

 

新春雑感(2022年1月)

 近年の福知山はあまり雪が降らず、車のスタッドレスタイヤも不要なくらいでしたが、一転今年は雪のお正月でした。姉夫婦が長女、次男と一緒に雪の中、車で福知山に帰省し、楽しく過ごしました。今年こそ、日本や世界の状況が好転しますように。

 

 

 

 私は掃除機をかけるのが好きです。スリムなコードレス・スティック・クリーナーは、手軽でお掃除時間の短縮ができ、とても良いと思います。しかし、キャニスター掃除機も捨てがたく、2回に1回は使ってしまいます。2018年にジェームス・ダイソンは日本でのスティック型掃除機ダイソンV10の発表会で“私たちは掃除機の未来像を作り上げた。今後、コードレス以外の開発は行わない!”と宣言しているので、dysonの新しいキャニスター掃除機はもう目にすることができないのでしょう。自動車が内燃機関からBEVに変わっていくように。

 福知山の自宅の1階倉庫に第2リビングルームを作ってみました。京都岡崎のスケルトン・リフォームの際に撤去されたarflexのA・SOFAと大理石のテーブルを大塚家具にレストアしてもらって置いています。特にテーブルは、再起不能と思われたものが見事に蘇り、その技術には驚かされました。対面には、岡崎にあった鏡台やテレビ、2020年に買ったさくら製作所のワインセラーもあり、時々ソファに横になって、本を読んだり、テレビを見たりしています。夏は涼しいけど、冬は寒いです。

 



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