(2010年各種案内)
結婚のお祝い at 「ラ・ベ」(2010年12月)
京都大学放射線生物研究センター晩発効果研究部門の同僚だった外科医の結婚のお祝いが、ザ・リッツ・カールトン大阪の「La
Baie」でありました。少人数の集まりで、妻と一緒に参加しました。彼は医学部の7年後輩ですが、学生の頃から研究室に出入りしていたので、研究室では先輩です。優秀で正義感も強いので、(医者でも良いのですが、)官僚か政治家にでもなり、日本国民のために働いてもらっても良かったかなと思います。(彼の母校である灘高は文系へ進む生徒の割合が少なすぎです。)阪大病院の魅力的な眼科医である奥様と一緒に幸せな人生が歩めますように祈っています。
放生研は名前通りに放射線の晩発効果の研究をするところではなく、免疫の研究室でした。私は“少ない労力、大きな成果”を唱え、研究者にあるまじき態度でした、すいません。でも、臨床だけではなく基礎の研究室の末席をけがしたことで、新鮮な驚きにも出会えました。臨床では、国家試験に通ったばかりのペーペーの医者でも「先生」と呼ばれ、皆で先生、先生と呼び合って気持ち悪いですが、基礎では、教授も准教授も大学院生もお互いを「さん」付けです。結構良いなと思いました。また、我々MDの多数は学位を取得するために研究するのですが、理学部や農学部出身の研究者は研究それ自体が仕事であり、その真剣さには学ばされました。臨床の研究は既にある著名な論文のマテリアルやメソッドを少しだけ変えて行う安直なものであっても許されたりしますが、基礎ではそんなことはあり得ません。そして、企業から来られている研究者にとっては、たとえその実験結果がノイエスなものであっても、企業の利益に繋がらなければ無意味なので、また違った厳しさを感じました。
同じテーブルには
、さんざんワインを飲んだ後にフレンチレストランの「La
Baie」であっても日本酒を注文する産婦人科医や、かつての有能な教授秘書が参加されていました。産婦人科医は独特のワールドを持っていて、いつも圧倒されます。メルセデスのCL
AMGとアストンマーティンDB9を持っているそうですが、後者(車)所有はちょっと羨ましいかも。女史は若い頃からしっかりしていて、大変お世話になっておりました。今も変わらぬ若さと美貌を拝見しました。
ゴルフpart.1(メンタル)(2010年11月)
今年も男子国内ツアーは、マイナビABCチャンピオンシップ、三井住友VISA太平洋マスターズと続き、石川遼らの活躍に沸いています。私はABCゴルフ倶楽部と太平洋クラブの両方のメンバーですが、現在ゴルフをしていないペーパーメンバーなので、会員権は所謂宝の持ち腐れです。
私にもゴルフに熱心だった時期が短いながらもあります。ドライバーは曲がるし、パットは下手だし、どうしようもありませんでした。“僕のゴルフで、悪いのはスコアだけ。”と嘯くと、“岡本君、ゴルフは大脳ではなく、小脳でするものだよ。”と的確に指摘されていました。
うつ病がすっかり治った頃、父がゴルフに誘ってくれました。何年もラウンドも練習もしていなかったので、福知山カントリー倶楽部のアウトコースをおっかなびっくり回ると39のスコアが出ました。得意の妄想が現れ、“何年もやってなかったのに。ゴルフの才能あるかも。”と思うと、インコースはきっちり50を叩きました。そんなものです。父は、ドライバーやスプーンが本当にウッドで、ボールが糸巻きの頃、毎日毎日練習してシングルになりました。最後は、ドライバーで200ヤード飛ばなくなっていましたが、それでも研究し、ゴルフを楽しんでいました。
最近は、どんなスポーツでもトップを目指すアスリートはメンタルトレーニングを受けます。心技体のバランスがとれてこそ、一流選手です。そして、私の本当に拙い経験から言うと、ゴルフというスポーツにおける精神力の重みは、他の競技に比しても格段に大きいと思います。例えば、ツアーに参加するプロは、ノープレッシャーであれば、ティーショットでもアプローチでもパットでも、高い確率でナイスショットを打てるでしょう。優勝がかかるホールでの一打であればこそ、自分を信じて、集中して、大胆にかつ繊細に攻めることができるかが分かれ目です。最も強かった頃のタイガー・ウッズは、最終日のバックナインで信じられないスーパーショットを放ってファンを魅了しました。そして、自らの存在で、優勝を争うライバルのメンタルを乱すことができるのです。
スポーツはどんなレベルであっても、真剣に向き合う方が面白いものです。でも、私はゴルフに関しては、長男がゴルフを始めた時に一緒にラウンドできる程度にちょこっと練習しようと思います。
テニスpart.5(ジュニアデビスカップ)(2010年10月)
メキシコで開催されたテニスの国別対抗戦ジュニアデビスカップ(16歳以下男子)で日本チーム(内田海智・河内一真・守谷総一郎)は初優勝を果たしました。内田選手がシングルス1、河内選手がシングルス2でしたが、2選手は大阪府出身で、小学生の頃からのライバルです。長男が関西ジュニアサーキット14BSの末席で出場させてもらっている時、1学年上の両選手はいつも優勝を争っていました。長男のカテゴリーで常に京都ナンバー1だった選手のお父様に、大会会場でテニスの情報を聞くのを私はいつも楽しみにしていましたが、河内選手の独創的なテニスと内田選手の潜在能力を当時から指摘されていました。
私は今年8月に靭テニスセンターへ行って、全日本ジュニアテニス選手権16BSの決勝を観戦し、内田選手と河内選手の成長を確認したところでした。他にも私が知っているジュニア選手たちが順調に実力を伸ばし、できれば世界で活躍できるように願っています。
常識(common sense)について(2010年9月)
養老孟司氏は大ベストセラーである「バカの壁」で、“16世紀のフランスの思想家モンテーニュが語る常識(common
sense)とは誰が考えてもそうでしょ、人間なら普通こうでしょという当たり前のことを指す。”と第1章で述べています。そして、最後の第8章で、“人間であればこうだろうという常識が、キリスト教やイスラム教などの一神教を信仰しない我々の究極的な普遍性だと思う。”と結んでいます。「バカの壁」には絶賛を上回る多数の批判があるのは周知の事実ですが、あっという間に読め、愉快な年配者が好き勝手言うこの本がベストセラーになったのはよく理解出来ます。そういえば、モンテーニュは、“誰か、過去をほめず、現在を罵らない老人を見たことがあるか?彼らは自分の悲惨と悲哀を世の中のせい、人々の考え方のせいにしている。”との名言を残していますし、“人間の多様性と移り変わりやすさ”について著述しています。それにしても、第二弾「死の壁」、第三弾「超バカの壁」は出版社から懇願されたのかも知れませんが、余分でした。
常識(common
sense)は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」やアメリカ独立前に書かれたトーマス・ペインの「コモン・センス」の時代は、自由、平等、独立という彼らの思想の礎石であり、目方が今とは全然違うものだった、と小林秀雄は「常識について」という評論の中で述べています。
続いて、小林秀雄はデカルトの「方法の話」(一般的には「方法序説」)についての叙述に移ります。“良識(bon
sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている。”と言う有名な文句で始まる「方法序説」は、岩波文庫で100ページほどの分量なのですぐ読めるのですが、私のような浅い人間はただ字面を追うだけで内容を上手く咀嚼できません。かつて私はこの小林秀雄の評論によってやっとデカルトの偉大さの一端に触れることができたのです。
デカルトは二十歳であらゆる学問を一通り身につけてしまった。学問に励んでみたが無駄だった。“たった一つの利益は、学問すればするほど、いよいよ自分の無知を発見した事であった。お蔭で私は他のすべての人々を自分自身で判断する自由を得た。これはと思うような学説は今の世間には一つもない、と考える自由を得た。”そして一切の書物を捨て、従軍し旅行するうちにドイツで、“真理を得る為には直感と演繹という精神の基本的な誤りようのない二つの能力を使用すれば足りる。”“疑う余地のないほど、極めて明瞭に判然と、自分の心に現れたものしか、判断のうちに取り入れぬ事。”“私とは何物であるか。思う物である。思う物とは何か。疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲せず、又、想像し、感覚する物である。”と思うに至った。
デカルトの言う事はとても良く分かります。あんたは偉い、と認めます。しかしながら、ここで私が思うのは、果たして良識或いは常識は世の中でもっとも公平に配分されているものなのか、という疑問です。逆に、もっとも不公平に配分されているものであり、常識を持つ者が非常識な者に駆逐されているのではないか、とさえ感じられます。
例えば、昨年の夏は政権交代という熱風が日本中に吹き荒れていました。当時のマスコミ、特に週刊誌が自民党を蔑み、民主党を讃える様は異常でしたが、手の平を返したように、今は民主党政権を徹底的に攻撃しています。確かに、マスコミには批判精神が不可欠だし、現政権の体たらくは万人が認めますが、一国の行政の長や政権政党をあそこまで貶めても良いものでしょうか。これは政治に限りません。経済界でも芸能界でもスポーツの世界でも、時代の寵児となり賞賛を一手に引き受けても、時が来れば逆賊のように非難される事が多くあります。マスコミは(或いはマスゴミは)世の中の人々の歓心を得る事にのみその力を注ぎ、もっと言えば発行部数や視聴率さえ良ければそれでいいようです。そして、日本国民の多くは私も勿論含めて、世の中がドラマティックで面白ければそれで良い。そして、自分が一番大事であり、自分より恵まれていたり保護されていたりするところには引き下げを求める、丸山眞男の言う「引き下げデモクラシー」に取り憑かれている。自分が恵まれている場合は勿論その既得権益を守り抜く。そこに良識はありますか。
そういう私は、良識テストをすれば多分下の上くらいで文句無く落第で、ジコチュー(自己中心的)テストをすれば素晴らしい点数を叩き出すでしょう。でも、きっといつかは人の意見をよく聞いて、でも盲従しない、良識あるオジンになりたいものです。
知的好奇心について(2010年8月)
「好奇心、何でも見てやろう、やってやろう、感動の心をもって」これは私の信条であります。これを「行動」と取って戴いても結構です。行動は若者の特権である、行動できなくなったときに人は老いたのだ、私はこのように思っています。理性・思慮分別の深さに大人との差異があるにせよ、時代を敏感に汲み取る若者の感性、感じたら自然に体が動く行動力、それが世の中を変えてきました。ドイツの哲学者カントに次のような言葉があります。『青年よ、先ず行動せよ。考え過ぎれば動けなくなる。』
しかし大人から見ますと、考え過ぎるどころか「考えもせずに行動する若者」は危なっかしく、理解を超えるところもありまして、正に「宇宙人」「エイリアン」ということになります。更に、更に古きを尋ねますと、何千年も前の象形文字を解読したら、『この頃の若者の言葉は悪くていけない』と書いてあったそうです。いつの時代でも、また洋の東西を問わず、こうしたものなのです。私もまた、若い頃は“アプレゲール”と呼ばれた“宇宙人”でありまして、これ等のことは順送り、時代・世代の相違に過ぎないと言えましょう。
心臓が動いた数だけ人は歳をとっていきます。これは詮無いことです。しかし、年輪を重ねることが、即、「老い」に繋がるものではないという実例が、世の中に満ち満ちております。その根源は何でしょうか。-----
私は若さを保つ秘訣は、何事にも興味を持つこと、その対象を感動の目を持って見ること、それにリアクションを示し行動を起こすこと、にあるのではないかと思っています。年取れば、人生ある程度判ったような気にもなりますし、コレはコウと説明が先立ち、「成る程!」
と感動することが少なくなって参ります。私は繰り返して言いたい、『率直な気持ちで興味を示し、感動の目を持って事に接する自分でありたい』と。
そこで、行動という言葉を“体を動かす”という行為だけに結び付けてしまうと、これは「チト辛いんどいナ」とも思いますが、こんな風にも考えてみました。-----
私が学んだ高校の歌集には113の歌があり、その一つにこんな寮歌があります。『クローバの芝生に友と踞し/如意の高嶺を仰ぎつつ/真理と未来を語る時/友情清く溶け出づる/
かたくも、濃く結べよ/久遠の信を/守れよ、寮の光輝を/自由の友よ』。この様に、精神の交流を図る機会を持つこともまた行動である、と認めていただければ、私など老人は息切れしなくて助かるのですが。
「歳を問はんより世を問え」、他人に年齢を尋ねるよりは、その人の過ごしてきた人生を尋ねなさい。私はまだまだこれから私の人生を積み重ねていくつもりです。豊かな人生に裏打ちされた経験を踏まえた上で発揮される若き精神、これこそ我々が何時までも持ち続けたい心意気でありましょう。
これは、父が64歳の頃に或る会で喋ったお話です。彼はバイタリティがある方だったので、まだ若かった私の“行動”の少なさを観てきっと嘆いていたことでしょうが、今は私が息子の知的好奇心の発露のあまりの少なさを指摘しています。長男もそれを自覚しているらしいのですが、「現代の中学生・高校生はみんなそうらしいで。」と言います。それ本当?お膳立てをしてもらえばそれなりにこなすけど、なんかすべて中途半端と違うか。まあ、お前には言われたくない、と思っているだろうけれどもね。
「アラン・シャペル」 in ポートアイランド(2010年7月)
飲んだら乗るな、ということで、結婚20周年記念行事の一環として「アラン・シャペル」へランチに行く際は、福知山駅前から三宮駅バスターミナルまで京都交通のバスで行きました。安くてなかなか快適です。時間に余裕があったので、市民広場駅まではポートライナーに乗り込みました。神戸市立中央市民病院に通勤していた時代の8000型から2000型に変わっており、明らかに加速性能が向上しておりました。
「アラン・シャペル」のメインダイニングからはホテルの南側、つまり海側が見渡せます。神戸空港ができる以前は、ディナーに行くと外は真っ暗でありました。夜景を期待する際には山側(北側)の個室を選べば良いのでしょう。内装はミントグリーンを基調とした、敢えて明るく軽い内装に改装されていました。天井からドア、その他細部に至るまでフランスからやってきた職人が何度も塗りを重ね、ミヨネーの雰囲気に近づくよう時間をかけて作り上げた空間だそうです。少々殺風景かなと思いましたが、これは各人の好みの問題でしょう。
食前のお愉しみは、シャンパンと一緒に複数の味が手掴みでも食べることができるオールドスタイルのアミューズでなかったのが残念でした。前菜、スープ、お魚、お肉は美味しかったけれども、残念ながら驚きは無かったです。(感動が欲しければ、ランチであっても、ホームページで観ることができるメニューからアラカルトで探して予約の際に確認しておく、アラカルトに自分の食べたい物が無ければ予めオーダーしておくという努力が必要なのでしょう。きっと高くつきますが。)ワインは手頃な予算で好みを言ったら、ポイヤック産のものが出て来て、優雅で香りも高く、大満足でした。ガス入りのミネラルウォーターを頼むと、ペリエを基準として炭酸が強いか弱いかを選択させたのもちょっと新鮮でした。食後に山側の個室に通され、佐々木康二料理長が挨拶に来られました。彼はルックスが良く話し方も爽やかなので、その魅力でリピーターになる人がいるかも知れません。
ジェイアール京都伊勢丹の地下に行くと、結構コストパフォーマンスの高い、京都の名だたる料亭のお弁当があります。テークアウトのお弁当といえども、その料亭の名前がついたものですから、手抜きは出来ません。伝統ある名高い料理店であっても、支払った金額と見合うものを提供出来るかどうかが評価される時代です。
飲酒運転と歩行喫煙(2010年6月)
堺屋太一が週刊朝日に「憂いの熱弁
飲酒運転の厳罰化が日本を滅ぼす」を書いたり、和田秀樹がコラムで、飲酒運転の基準は地方が決める権利を確保すべきだ、と述べたりしています。こういうことを言うと必ず非難が殺到しますが、前者は日本の官僚統制や情報統制について、後者は東京と地方の実情の違いや地方分権についての言及があるので、そこを理解した上で批判されるべきでしょう。実際のところ、いったんお酒を飲み始めたらここまでは大丈夫などと考えられなくなりますので、私でさえ、少量であっても飲酒運転は避けるべきであると(今は)考えます。学生時代に習った生理学教室伝来の
“僕、肺活量ないんです”式必殺飲酒検問突破術は現代のアルコール検査の前ではなす術もありませんし。
ついでに、法律で歩行喫煙(歩きタバコ)も禁止すれば良いのに、と思います。煙草は合法的な嗜好品ですので、自分で楽しむ分には問題ありませんが、歩行喫煙の煙とタバコのポイ捨ては大迷惑です。条例で禁止されている地域もありますが、全国的に許可された場所以外では原則屋外でも禁煙にするべきです。
「エリタージュ」 in ハウステンボス(2010年5月)
1992年に開業したハウステンボスは、土壌の改良や運河の掘削を土台として徹底的にオランダの町並みを再現した、アトラクションやエンターテインメントに頼らないテーマパークでした。しかしその拘りにより破格の初期投資費用が必要となり、またそのコンセプトが日本では成熟し過ぎており、更にバブル景気の崩壊などにより2003年に会社更生法が適用され破綻しました。その後は野村プリンシパル・ファイナンスの支援で経営再建を目指しましたが、2008年の世界金融危機により再び経営状態が悪化し、2010年3月からH.I.S.の支援で経営再建計画が始まったところです。アトラクションやエンターテインメント重視の東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンと比べて、ハウステンボスは街並やアトモスフィアで訪れた人々を楽しませる落ち着いた大人のテーマパークであり、是非うまく存続させていただくように願っています。
さて、ハウステンボス迎賓館に「エリタージュ」というレストランがありました。上柿元勝氏が総料理長をされていた頃に妻と一度だけ訪れたことがあります。私はグルメとはとても言えないので偉そうなことは言えませんが、少なくとも日本で食べたフレンチのなかでは今までで一番美味しかったです。
「エリタージュ」は雰囲気(室内装飾、家具、照明など)、サービス、食事の素材、料理法、ワインなど本物のグランメゾンでありました。まず、バーカウンターで食前酒を頼むと、Pour patienter(食前のお愉しみ)がでてきます。これが洒落ていて、食事への期待を膨らませます。シャンパンやワインは好みを言えば、こちらが設定した金額の範囲内で最高の選択が用意されます。上柿元勝氏がおられた頃の神戸「アラン・シャペル」には当時はまだガールフレンドだった妻と背伸びをして訪れていますが、ミヨネーの本店の影響下に無い分なのか、「エリタージュ」の方が素材や料理法に自由度があるように感じました。(特にリードヴォーのパイ包みが素晴らしかった。)
「エリタージュ」の料理長だった佐々木康二シェフが、神戸「アラン・シャペル」に戻られているようですので、またいつか伺いたいと思っています。
「天下一品」 in 北白川(2010年4月)
「天下一品」のお店の周囲には独特の匂い(臭い)が漂っており、最初は苦手だったのですが、今では思わず吸い寄せられます。理学部農学部の近くの銀閣寺店、同志社の近くの今出川店は言うに及ばず、知恩院前店、九条店、9号線沿いの五条桂店、福知山店、県尼時代の塚口店などたくさんのお店にお世話になりましたが、一部の天一ファンが声高々に訴えるように、北白川の本店こそ本物の「天下一品」だと思います。“超弩級らーめん 天下一品”という素晴らしいサイトがありますので是非御参照ください。
大学の生理学の実習で或る講師が、天下一品のラーメンは猿脳(えんのう)の味がする、と言って学生にウケていましたが、この辺りも上記サイトの筆者が述べる、天下一品にはたいへん強力な習慣性・麻薬性・依存性が存在し、今日までに数多くの悲劇的中毒者を生み出し続けてきた所以でしょう。
「羅阿麺館」 in 苫小牧(2010年3月)
ほとんどの人と同様に私はラーメンが大好きです。今まで食べて来たラーメンの中で最高に美味しかったのは?と聞かれたら、おそらく国道36号線沿いにある苫小牧の「羅阿麺館」のネギ塩ラーメンだと思います。妻の友達で北海道出身の長身で美しい奥様に勧められて行きましたが、本当に美味かった。味噌ラーメンと醤油ラーメンもありますが、私には塩が一番です。縮れが強い太麺とトッピングの白ネギ(根深ネギ)が最高です。薬味は一味とすりおろしニンニクをかけて食べるように教えられていたのでその通りにしましたが、確かにスープが一層おいしくなります。また食べたいけど、簡単には行けません。北海道にはこの店以外にもたくさん旨いラーメン屋があるのでしょうね。
ゲロンチョリー/Doshisha heroes /YUI「GLORIA」(2010年2月)
万城目学の処女作「鴨川ホルモー」について、“京大(東)、立命館(西)、龍谷大(南)、京産大(北)のサークルの学生がオニ語
を習得し、ホルモーに指示を出し戦わせるという荒唐無稽な話ですが、残念ながら私の琴線には触れませんでした。青春小説としても煮え切らないです。”と述べたことがありました(2007年7月)。しかしながら、本木克英監督の映画「鴨川ホルモー」はなかなか面白い。意図的に京都の都会的な風景を避けて、原作にも出てくる葵祭や祇園祭のシーンなど他郷の人(by
梅棹忠夫)が京都に抱くイメージをうまく描出しています。きちゃない治外法権「吉田寮」や吉田南総合館北棟屋上に復活した「三高の自由の鐘」のシーンなどは京大好きには堪りません。ネット上でも絶賛されていますが、栗山千明のゲロンチョリー・ポーズと濱田岳のチョンマゲはワンダフルですし、山田孝之のゆるい京大生ぶりもまあまあです。そして、この映画のDVDを観ている最中に私が最も驚いたのは、(絶対に嫌いやろなと思っていたのに)妻がこの作品を結構気に入っていることです。“残念ながら同志社はホルモーに入ってへんな。”と私が言うと、“同志社(同やん)は立命館(立ちゃん)や京大(イカ京)と違ってスマートだから敢えて参加しないわよ。”と切り返されました。
今年の大学ラグビーの決勝は帝京大vs.東海大のフレッシュな対戦で、両校死力を尽くしました。でも同志社ラグビーファンとしては、準決勝で明治か慶應に勝って、決勝で早稲田を倒して(「荒ぶる」を歌わせず)同志社が優勝して欲しいと毎年願っています。(その前に関学と天理大と摂南大に勝たないといけないとは・・・。)長女は妻の母校である中学校に入学できることになりましたので、彼女が在学する10年以内には、Doshisha
heroes ever must win !
YUIの「GLORIA」は進研ゼミ高校講座のCMソングですが、“青春時代で人生が変わる?”“成功者の声高々に語るエピソード他人事みたい”“サクラが咲く頃にきっと新しい自分に出会えるの”“輝く先にGLORIA近づいているはずさ”など、確かに大学受験生にぴったりの曲です。(YUI
才能あるね。)PVでも林遣都と岡本杏理が受験勉強しています。(YUIも含めて3人ともスターダストプロモーション所属ですね。)さて、長男が家で勉強しているのを見たことが無かったのですが、莫大な時間を費やしてYouTubeで「ドラゴンボール」と「ONE
PIECE」を見終わったせいか、昨年11月から時々家庭学習するようになりました。頑張ってね!(「SLAM DUNK」も面白いぞ。)
新々英文解釈研究/新釈現代文(2010年1月)
山崎貞(ヤマテイ)著「新々英文解釈研究」、高田瑞穂著「新釈現代文」等、かつての参考書が復刻されて脚光を浴びています。
「新々英文解釈研究」の初版はなんと1912(大正元)年。私のものは、佐山栄太郎の第8訂版7版(昭和50年)950円です。その最初の例文が“A man of learning is not always a man
of
wisdom.”であることは有名です。同じ研究社の「新自修英文典」、「新英和中辞典」、「新和英中辞典」も受験生の必須アイテムでした。森一郎の「試験にでる英単語」、「試験にでる英熟語」(青春出版社)は、今は店頭に並んでいなくて、とてもがっかりした覚えがあります。駿台、河合塾、Z会等の単語集、熟語集が現在では愛用されているようです。
昨年6月には、「新釈現代文」(ちくま学芸文庫)が復刊されました。1959年(昭和34年)に出版されたこの名著は、新塔社が倒産して絶版になっていました。私の実家の本棚には、洛陽社の「古文研究法」、「漢文研究法」も勿論並んでいます。
最近は、カラフルなイラストが満載で、少ない時間で最大の効果を得られると錯覚させる合格ハウツー本が人気です。この2冊のような格調高く哲学的な参考書は現代の受験生には敬遠されるのでしょう。しかし、40〜50歳代にとっては高校生・受験生の頃に聴いていた音楽や見た映画に今触れると当時をノスタルジックに思い出すように、これらの参考書は「またちょっと勉強でもしてみようかな。」という気持ちを喚起する力を持っています。山川出版者の「もう一度読む山川世界史」、「もう一度読む山川日本史」を本屋さんで見かけるとつい買ってしまいます。
私は福知山の中高一貫超無名校に在籍していましたが、高校生の頃に英語も国語も福知山高校の先生に習っていました。どちらも優秀な先生でしたが、特に英語の村上先生は素晴らしい先生でした。東京高等師範学校出身で、英語の解釈、文法は言うに及ばず、哲学的、思想的にも抜群の頭の切れを見せていました。村上先生に学ぶことができて幸せだったと今でも思っています。
追記:先日久し振りにアビックス福知山店の参考書・問題集のコーナーを覗いたら、森一郎の「試験にでる英単語」、「試験にでる英熟語」が見つかりました。次男の森基雄氏が改訂に関わっているようです。(2010年2月)
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