(2015年各種案内)
My Slow Aging part.3 (アンダーパー)(2015年12月)
My Slow Aging part.2
(夢の70台へ)(2013年4月)で、86kg程あった体重が70kg台になったことを喜んでいましたが、最近72kg未満(アンダーパー)を叩き出すことが可能になりました。随分長い期間をかけて減量したので、今のところリバウンドはありません。大学時代は大嫌いだった腹筋・背筋運動や腕立て伏せも行い、途中から腹直筋が見えるようになったのが嬉しく、身体が軽くなると心まで軽くなるという利点がありました。ウエストが3~4インチ細くなり、リーバイスのジーパン513と511をアウトレット(3本目が無料)で買いました。
私は基本的に医学の分野の先達や巨匠や有名人をリスペクトはしても、全面的には信用していません。食事に関するセオリーや流行りに対しては批判的です。個人がやってみて、自分に合うと思う方法をとれば良いだけです。過度なスポーツは健康を害しますので、運動も程々が望ましいでしょう。
鈴木亮平氏は「天皇の料理番」で主人公の病弱な兄を演じるために20kg体重を落とし、そこから「俺物語!!」の役作りで体重を30kg増加させました。ロバート・デ・ニーロ氏は「レイジング・ブル」で鍛え抜かれたボクサーの肉体と不節制で現役時から20kg増えた引退後の姿の両方を見せました。役者魂ですね。でも、私はできればもう体重を増やしたくないです。
ブラック・ジャックは遠かった(阪大医学生ふらふら青春記) by 久坂部羊(2015年11月)
今クールに久坂部羊氏原作のドラマが2作放映されています。NHKの椎名桔平主演「破裂」とフジテレビの西島秀俊主演「無痛~診える眼~」ですが、以前に原作をどちらも読んでいました。ドラマは録画して観ています。
丸善京都本店に立ち寄った時に、「ブラック・ジャックは遠かった(阪大医学生ふらふら青春記)」を買いました。最初、長男に読ませようかな、と思ったのですが、昭和50年代の話ですので、きっとピンとこないでしょう。久坂部氏は阪大医学部サッカー部の主将をされていたので、まさに長男の先輩です。(息子はテニス部に入ると思っていたのですが、未経験のサッカーを選択しました。団体競技もまた良しです。)当時は阪大医学部も阪大病院も中之島にあり、サッカー部の練習は靭公園補助グラウンドで行われていたようです。
久坂部氏は三国丘高校を卒業して、阪大医学部とは土佐堀川を隔てた位置にあるYMCA予備校で浪人生活を送り、“私は無事にこの川を渡れるのだろうか、心理的にはとてつもなく広い川だった。”と当時の切ない気持ちを述べています。良くわかります。私も京大医学部入試に落ち、国立大学二期校医学部に入学・休学し、同志社の今出川キャンパスの近くの近畿予備校で浪人しました。私達の頃は、京大医学部の入学者の3分の2以上が浪人で、その過半数が近畿予備校出身でした。浪人しても次の年に必ず志望校に入学できる保証はありませんので、予備校生は焦燥感や鬱屈した心情を持ちながら勉強するものです。でも、長い人生、きっと浪人時代も良い思い出になります。二回目の京大入試後に国立大学二期校の担当教授は親切にも、復学届、更なる休学届、退学届の3通を送ってくださり、退学届を提出すると、初志貫徹できましたね、と祝福の言葉までかけていただきました。(担当教授は京大医学部卒だったと後で知りました。)
本書で、返ってきたドイツ語の試験の答案に丸印で「カン」と書かれていた、“カンニングしたのは分かっているぞ”と示しながら、通してくれるフトコロの深い教授だった、とあるのには笑いました。また、英語の試験で歯が立たず、友情にあふれる同級生と答案用紙を交換するという、発覚すれば二人とも留年する大技のシーンには私も手に汗握りました。同様のことは、私も経験しています。ドイツ語の試験に辛うじて通ったのはある同級生のおかげで一生感謝していますし、試験の際には“良い席、良い友、良い視力”が必要と言われていました。尤も、京大医学部は全国に沢山ある国公立大学医学部の中でも、卒業に苦労しない大学の筆頭でした。(テニスの全医体の時、千葉大学医学部の学生が東日本ではウチが一番ユルいと誇らしげでした。)私は、本試験で通るより、追試、更には2回目の追試を受ける方が、どんどん知識が深まるわ、と悪びれず嘯いていました。ただ、病理学の追試が1学年下の本試と一緒だった時は、少しかっこ悪いかなと思いました。私よりずっと豪快だった奴らは、医学部の事務のおばちゃんが凄く心配してくれて、〇〇くんさすがにもう通らないかんよ、と言ってもらっていたらしいです。ちょっと羨ましい。
本屋さんpart.4(丸善京都本店)(2015年10月)
京都保事協で、大垣書店に加えて、丸善のカードを作りました。建て替えられた京都BALに丸善京都本店が今年8月に10年ぶりに復活し、2010年12月に開店したMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店はジュンク堂書店池袋本店を凌ぎ、国内最大の売場面積と蔵書数を誇っています。(丸善とジュンク堂は合併したのですね。)私は最近めっきり本屋さんに行かなくなり、AMAZONを始めとするインターネットショッピングでばかり書籍を購入しています。しかし、たまに本屋さんに訪れてみると、少し文化的な気分になるから不思議です。買う本は全然アカデミックでないけれども。
ジュンク堂京都BAL店は5階から8階でしたが、丸善京都本店は地下1階と地下2階にあります。以前の様にコートや傘は置いてないようですが、文具売り場やMARUZEN
CAFEがあります。洋書の充実は丸善らしいです。我々の若い頃の京都のファッションビルと言えば京都BALと藤井大丸ですが、リニューアルされた京都BALはイメージが一新され、余裕のある空間とモダン系ホテルっぽいインテリアが素敵です。ロンハーマンやザ・コンランショップもあり、またゆっくり訪れてみたいです。
お酒part.4(真野鶴・実来と一番搾りプレミアムとハウスワイン)(2015年9月)
新潟大の榎本教授から、今夏も非常に美味しいお酒をいただきました。尾畑酒造のHPによると、「真野鶴・大吟醸」は五百万石を原料米とするお酒で、エールフランスのファースト/ビジネスクラスの機内酒です。贈っていただいた「真野鶴・実来」は更に上質で、膨らみのある味わいを合わせ持った山田錦とすっきりとした淡麗な味わいの五百万石を掛け合わせて醸造された、まさに夏にピッタリなお酒です。最初に一口呑んだときに美味しくてびっくりしました。若い頃は日本酒をあまり飲みませんでしたが、最近は和食、特にお魚の料理には日本酒が欠かせません。
一番搾りプレミアムも夏にふさわしい華やかな香りのビールです。元々、渋いお酒が大好きなのですが、こういう口当たりが柔らかなビールも良いですね。お肉は美味しいですが、ロブスターやサイドメニューなどはよく言えば豪快、悪く言えば繊細でなく大雑把なウルフギャング・ステーキハウスでも、カリフォルニアワインの前に一番搾りプレミアムをいただきました。本来、伊太利亜料理ならばイタリアワイン、中華料理ならば紹興酒とその国のお酒に敬意を表するべきかと思いますが、アメリカ系のお店ではコスモポリタンというか、そういうことはどうでも良い気になります。フローズン・マルガリータを何十年振りに飲んだり、ウォッカ系やカンパリ系、ジン系を選んだり、何でもこいです。
うちのハウスワインは、チリのカンテラとスペインのパラウ・カヴァ・ブリュットです。京都LAQUEのヴィノスやまざきで赤ワインとスパークリングワインで手頃なものを勧めていただき、色々飲んで決めました。コストパフォーマンスに優れていると思いますが、もっと良いのがあったら教えてください。
ステーキ、焼肉、しゃぶしゃぶ(2015年8月)
家族で食事をするとなると、全員の予定の調整とお店の選択が重要になります。両方とも妻が精力的に行いますが、子供をお肉料理で吊ることが多いです。最近数ヶ月に行った店も、「ウルフギャング・ステーキハウス」大阪店、福知山のお肉料理「竹下」、ホテル阪急インターナショナル鉄板焼き「ちゃやまち」、箕面小野原の炭火焼肉「七輪」とお肉の店が多いです。どのお店でも美味しく、楽しくお肉料理をいただきました。
ビーフにはブランドや格付けがあり、その店の戦略や雰囲気などにより価格が設定されるのでしょうが、お肉に関しては“高いから美味しいとは限らない”と実感します。長女は焼肉好きなので、上記の中では客単価が高くない「七輪」での会食が一番楽しかったと言います。日本の牛肉の場合は、上等なお肉だと脂肪分が多すぎる傾向があります。以前、母がお正月用にと奮発して、高価なお肉を私の姉と妹に贈ったところ、“ありがとう、でも脂っぽくて食べにくい”と言われて、がっかりしていたことがあります。初めてのお店に行ってお肉の価格が異なる時には、その店の標準的なものを勧めてくれるのが良心的かも知れません。
しゃぶしゃぶのお肉は福知山の「谷牧場」の奥丹波みたけ牛がとても美味しくて私は大好きです。福知山のスーパーマーケットのしゃぶしゃぶ用のお肉よりむしろリーズナブルな価格だそうです。
京天神野口と嵐山吉兆(2015年7月)
京都で美味しい日本料理をいただくことができました。大学の同期会の今回の幹事は、京大の老年医学講座助教授を経て、京都で往診専門のクリニックを主宰しています。病気を持つ方の自宅での生活を支えるという、今後益々必要とされるお仕事です。娘さんは三人とも国立大学医学部の学生で、三番目のお嬢様は高校、大学医学部とも私の長男の先輩です。
連れて行って貰った「京天神野口」は彼のクリニックの近くで、ミシュランの星を持っています。とても予約が取り難いお店である理由がよくわかりました。大将は和久傳で修行されたそうですが、高台寺和久傳などの料理よりも現代的で、若々しく、それでいて「野趣と文化」も感じられます。我々も和食が一番美味しいと感じる年齢になっているのですが、お肉やウニもやはり食べたいもので、絶妙なお献立でした。締めのご飯の味付けもとても良かったです。
京天神野口さんの1週間後に、「嵐山吉兆」に行きました。極めて高名な店なので毀誉褒貶があるでしょうが、お店の方々はそれに対しては超然とされているようでした。結論から言うと、嵐山吉兆にはその金額に見合うおもてなしがあると私は思いました。若い頃であれば理解できなかったでしょう。お料理だけではなく、お部屋やお庭、器、(私にはよくわかりませんが)お茶事の流儀に忠実なサービスなど流石に一流です。興味深いお話も色々聞く事ができました。
JAZZな人(2015年6月)
大阪にブルーノートがあった頃に何回か連れて行ってもらったことがあります。当時はJAZZに興味がなく、きっととても有名なジャズマンが来ていたことでしょうに、勿体無い話です。
「ヨルタモリ」で“ジャズって音楽はないんですよ。ジャズな人がいるだけなんですよ。ジャズって音楽があるようであるわけじゃない。ジャズやっててもジャズじゃない人がいるわけですよね。”とタモリ氏が持論を話していました。それが契機となり、突然ジャズを聴いてみようと思い立ち、CDを70枚くらい一気に購入し、ジャズ関連の入門書や雑誌を55冊、フィギュアも5体買いました。といっても、ジャズの名盤CDは1950年代から60年代のものが多く、輸入版などを探せば殆ど千円以下ですし六百円くらいで買えるものもあります。
現在休刊しているスウィングジャーナル読者が選ぶジャズ名盤ベスト100では、マイルス・デイビスが10枚、ビル・エヴァンスが7枚、ジョン・コルトレーンが6枚、ソニー・ロリンズとキース・ジャレットが5枚とジャズの巨人たちに票が集まりました。ジャズ初心者の私にはまだマイルス・デイビスの凄さが理解できません。マイルスが天才と認めた二人、チャーリー・パーカーとバド・パウエルは聴くと素晴らしさがすぐわかります。そして、妻に勧められたビル・エヴァンスの「Portrait
in
Jazz」、ジョン・コルトレーンの「Ballads」は何の知識なく聴いても“惚れてまうやろ”という感じです。今なら、それぞれのアルバムについて10分位は蘊蓄(残念ながらまだ浅漬けですが)を傾けることができます。
それにしても、タモリ氏は凄いです。博識だし、センスが良い。「ブラタモリ」で金沢城の石垣の変遷を見て、“ラスコーの洞窟からピエト・モンドリアンまで西洋美術史を見ているようだ”と語ったのには流石と思いました。
京都大学医学部芝蘭会硬式庭球部(2015年5月)
京大医学部テニス部の正式名称は、京都大学医学部芝蘭会硬式庭球部です。少なくとも私達の頃はとても真面目なクラブでした。私が属した意義が僅かでもあるとしたら、ささやかなナンパの風をクラブ内に吹かせたことくらいでしょう。尤も、時代は渡辺和博氏の「金魂巻」における○金○ビ、そしてバブル景気へと向かう訳で、私がいなくてもクラブの多少の軟派化は必然であったことでしょう。
テニス部の4年上には東京医科歯科大学など国立大学の教授が四人おられ、上本信二先生は京大医学部長をされています。“本医学部で私たちが本当に求められているのは、この「Unknown」に魅入られ(Curiosity)、その解明と解決をめざして果敢に挑戦し(Challenge)、その志を持続していくこと(Continuation)であろうと思います。”と医学部長メッセージで述べられていますが、これこそが京大医学部の使命であると私も思います。残念ながら、自分はその責任を全く果たせませんでした。
iPS細胞を用いてパーキンソン病治療の研究をしている高橋淳氏とiPS細胞から作った網膜細胞を加齢黄斑変性の患者に移植するという世界初の臨床研究手術に関わった高橋政代氏の御夫婦はテニス部の1級下です。ダブルスの1勝を除いて、淳氏とのテニスの試合はことごとく負けました。政代氏には、マハラジャ四条でダンパを開催した時も、11月祭で恋人紹介を企画した時もとてもお世話になりました。お二人には、できるだけ早く、病気に苦しんでいる患者さんのお役に立ってもらいたいと思います。
私の場合は勉強ができず研究が苦手だったので、田舎の開業医になった訳ですが、とても優秀な人でも大学や一流の研究機関に属さず、勤務医や開業医になる場合もあります。学生の頃から基礎の研究室で勉強し、その方面で活躍すると皆が期待していたのに、あっさり地方の勤務医を選んだ同級生がいます。人生においてどちらの道を選べば幸せだったかは、誰にも(おそらく本人にも)わかりません。
日本医学会総会(2015年4月)
「第29回日本医学会総会2015関西」が京都を中心に開催されました。4年前は東日本大震災があった年で、きちんとした形では8年ぶりに開かれました。
皇太子殿下が御臨席された開会式に、妻と長女が参加しました。(私は外来診療、長男は所用で行くことができませんでした。)山中伸弥京都大学教授の開会講演は大阪大学総長の平野俊夫先生が座長をされ、井村裕夫元京都大学総長の会頭講演は日本医学会会長の髙久史麿先生が座長をされました。お二人は今後の疾病治療や予防医学などについて話をされ、一般の人にもとてもわかりやすく、日本の未来が明るく感じられた、と妻は感動していました。一方で、折角全国から京都に参集されているのに、供されたお弁当とお茶の味が?と残念がっていました。
BMW(2015年3月)
今は昔、5シリーズ(E28とE34)に乗っていました。『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマ「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」で松任谷由実が“BMのホウキでSATURDAY
NAGHT”と歌っていた頃です。E28は少々地味目でBBSのフロントスポイラーとMテクニックのリアスポイラーをつけました。E34は3.5Lストレート6で「駆け抜ける喜び」を体感できました。当時はメルセデスとの違いは明瞭で、BMWの方がずっと俊敏でかつdriver-orientedでした。現代ではライバルのアドバンテージを研究し、自分のネガを消し、世界標準というのか個性の差が小さくなってきています。これは、ドイツ車に限りませんが。それでも今回、数十年振りにBMWに触れることになり、その美点を再確認しました。因みに、バイエルン・ミュンヘンはブンデスリーガでダントツ首位、一方VfBシュトゥットガルトは最下位ですね。
「頭脳王」はクイ研のクラブ活動(2015年2月)
「頭脳王」と知的財産の創出(2012年6月)で、日本テレビの「頭脳王」についてコメントしたことがあります。本戦出場者は少なくとも、1)記憶力、2)情報処理能力が人並外れて優秀であることは間違いなくて羨ましい限りです。しかしながら、この番組は結局、全国高等学校クイズ選手権のスタッフとクイズ研究会(部)出身者による演出番組であります。数学オリンピック金メダリストの関君(第1回)や葛西さん(第2、3回)は観る者をワクワクさせる頭の切れを見せますが、クイ研問題には不慣れなのか、決勝には残れません。2012年6月に阿部博之氏のペーパーを紹介していますが、丸山真男氏には、“「秀才バカ」というのは情報最大、叡智最小の人で、クイズには最も向いているかもしれないが、複雑な事態に対する判断は最低です”
とか、森嶋道夫氏には、“日本が必要としているのは記憶力に優れた知識量の多い、いわゆる博学の人ではなく、自分で問題を作り、それを解きほぐすための論理を考え出す能力を持った人である”とか言われそうです。
さて、昨年の12月5日の「頭脳王」で姉の次男が優勝してしまいました。東大理IIIのクラスメートは優秀だし、プライドもあるだろうから、キャンパスではあまり騒がしくないかも知れませんが、ネット上などでは暫くの間“デスノートのLみたい”と褒められたり、“あんな医者には診てもらいたくない”とけなされたりしたようです。確かに、金星で一番高い山がマクスウェル山とか、10911がチャレンジャー海淵の深さを表すとか知っていてそれがどうなんやと普通は思いますが、クイズ研究会(部)のメンバーにとっては常識中の常識なのです。医学部の学生達がクラブ活動として東医体や西医体で優勝や好成績を目指すように、彼や廣海君はクイ研のクラブ活動の一環として「頭脳王」の決勝を争っただけで、日本で一番頭がいい人を目指す大会などとは死んでも思っていないでしょう。
うちの姉は、“颯が大会後に京大勢である医学部の天才廣海君と経済学部首席粂原君と食事をしたらしいとネットで知ったのよ”と父の七回忌の際に言っていました。そして、“東大医学部の異端児は誤りで、理IIIから進学振り分けで医学部に行けない子が毎年数人いて、彼は医学部に行けるのかしら”と心配しておりました。
アイリッシュセターのシャルルII(2015年1月)
昨年の5月にアイリッシュセターのシャルルが亡くなり、その喪失感が大きくて、もう犬を飼うのは止めようかなと思っていました。でも、愛犬と散歩している人を見て羨ましいなと思ったり、雑誌で綺麗な犬を見ていいなと感じたりしたので、やっぱり飼おうと考え直しました。
アイリッシュセター以外の犬は考えられなかったので、熟考の結果、とても信頼が置けるブリーダーの方から2歳の若牡を譲っていただきました。旧名はロッソくんでしたが、シャルルIIと名付けました。この犬がとてもお利口さんで、アイリッシュのやんちゃな部分も持っており、最高に可愛いのです。すみません、親バカで。
|