(2011年各種案内)
クリスマス・ページェント(2011年12月)
長女の学校の大切なイベントであるクリスマス・ページェントが12月17日に開催されました。1936年に始まった伝統ある学校行事で、音楽と無言劇でキリストの生誕を表現する礼拝です。可愛らしいだけでなく、賛美歌の合唱やパイプオルガンとハンドベルの音や蝋燭の光が、年末のあわただしい雰囲気の中、厳かな爽やかな気持ちにしてくれます。
クリスマス・ページェントは生徒たちが自主的に運営しており、中高の各学年がそれぞれの役割を果たしています。表には現れなくても、舞台監督の演技指導、
舞台装置やライトの演出、衣装の着付けなどは非常に重要な役割です。ヨセフ、マリア、宿屋の主人、イザヤ、博士、ガブリエル、羊飼い、天使、子供など、一つとしてページェントに欠けてはなりません。ソリストは今年も皆を魅了しました。演じる人や参加する人が変わっても、毎年同じように開催されるクリスマス・ページェントはとても素晴らしいイベントです。
夭逝の悲報(2011年11月)
今年、大学の同級生がもう一人亡くなりました。母校の講座の准教授でありました。
テニスの全日本ジュニア選手で、大学時代は全学のレギュラーメンバーで活躍しました。ミーハーなところもあって、パンチDEデートに出演しました。医師国家試験の勉強グループ(5人)であほな私にあきらめずに教えてくれました。音楽にも秀でており、私の結婚披露宴では“一乗寺の笛吹童子”として演奏してくれました。Macの知識は周囲では最高レベルでした。
こんなに何でも出来たのに、これからもきっと世の中のために働けたのに、死んだらあかんと思います。
奥様が落ち着かれ、今後の人生を設計し直し、幸せに過ごされることを祈っております。
マリナーラ/モッツァレラ/ゴルゴンゾーラ(2011年10月)
私がふと思い出してとても食べたくなる3大パスタは、冷泉通の「ながぐつ亭」のマリナーラ(Marinara)、富小路の細い路地にある「フクムラ」のモッツァレラ(Mozzarela)、福知山の「VUCCIRIA
da CATERA」のゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)です。
「ながぐつ亭」は1983年オープンで、オーナーは同志社出身です。1980年代にはイタリア料理店は今ほどたくさんありませんでした。大学2回生から14年間住んでいた(今でもときどき訪れる)岡崎神宮道の家からも大学からも歩いて行ける距離にあり、妻や同級生とも研究室のメンバーともよく行きました。必ずオーダーするのが、エスカルゴとスパゲッティ・マリナーラです。マリナーラはトマトとニンニク、オリーブオイル、オレガノなどが素材のトマトソースということで、このソースを用いたパスタはナポリの漁師の賄い飯で、本来はレストランで食べるべきものではないのかも知れませんが、とても美味しいです。食べ物の趣味も性格同様に偏屈な長男も好きでした。妻はジャパニーズ・イタリアンかもといいますが、前菜やピザも旨くて、好きな店です。
「リストランテ
フクムラ」も京都に住んでいた頃よく行きました。スパゲッティは太麺でモチモチしており、好き嫌いがあると思いますが、私は好みです。特にスパゲッティ・モッツァレラはモッツァレラチーズとトマトを使っており、とてもbuonoです。また、アンティパストはチーズ、マリネした野菜、薄切りハムの盛り合わせなどオーソドックスな組み合わせですが、安定感が抜群です。時間があれば、まずスプマンテを、そしてハウスワインのキアンティ
コッリ フィオレンティーニを合わせます。大学の後輩(男性)、研究室の教授秘書(女性)との“3人まぶだち会”ですごく久し振りに訪れてから、3ヶ月に2回の割で通っています。20年前と同じ方に給仕していただけます。
ホテル綾部(現在は京 綾部ホテル)にあった「イタリア食堂
ボーノ」のアンティパストは、鯛のカルッパチョなど価格がリーズナブルでとても良かったです。パサパサと乾燥して食感がとても堅いアンティパスト、賞味期限が過ぎたフレッシュチーズなどを供するお店は、何処とは申し上げませんが、御勘弁願います。
高島屋京都店の「PECK」でアンティパストや鴨肉(ソースは甘過ぎ)やゴルゴンゾーラとパンを買って、自宅で赤ワインを飲りながら、ミラノのスカラ座へドレスアップしてオペラ(バレエ)を見に行くという妄想に浸るのもまた良いでしょう。
私たちの頃は、2回生までは吉田の教養部、3回生からは近衛通の医学部とはっきり分かれていました。大学教養部の頃に、日仏会館と京大が共催した“ワインとチーズの夕べ”でフランス人留学生(男性)と一緒にフランス最古のチーズと言われる青カビのロックフォールを食べた時、臭くて塩辛いと思っただけでした。それが今では「PECK」でゴルゴンゾーラを買う時、青カビが多く辛味の強いピッカンテが売り切れでドルチェしかないととてもがっかりします。そこで、福知山の「VUCCIRIA
da
CATERA」のゴルゴンゾーラです。スパゲッティも味わいましたが、ここのゴルゴンゾーラはショートパスタの方が断然よろしい。トマトソースのパスタもいけてます(くくってます)。鴨肉のパテやお魚を使ったアンティパスト、鳩やイベリコ豚などのセコンド・ピアットもまず間違いが無いです。最初にいただくスパークリングワインはスプマンテ、カヴァ、シャンパンと高くない値段で揃っており、次の赤ワインは私と妻の好みを外さずにイタリア産のワインを勧めていただけます。(ここで飲んだワインのいくつかは、妻によってインターネットショッピングで購入され、自宅のドメティックのワインセラーに常備されます。)その年のミラノの青空の色に塗装されるというチェレステ色の小径ビアンキが店頭に飾られる「VUCCIRIA
da CATERA」は、私にとって大事な店です。
Ray Of Hope(2011年9月)
妻が知人から山下達郎の「Ray Of
Hope」を勧められて、実際に聴いてみて良い評価をしていました。今まで妻が山下達郎について語ることは殆ど無かったから、それを聞いて私は嬉しく思いました。その結果、RCA時代からMOON/WARNERの初期の頃の作品はLPレコードで持っていたし、大抵の作品はiTunesにも入っていたけど、「CIRCUS
TOWN」から「Ray Of Hope」までスタジオアルバム全13作を大人買いしました。
本人は死ぬほど嫌だった“夏だ、海だ、達郎だ”というフレーズで表現されるように、軽い音楽のように思われている部分もありますが、(都立竹早高校時代から)彼はとても硬派であり、まさにアルチザンだと思います。1986年「POCKET
MUSIC」の頃にレコーディングがアナログ24トラックからデジタルマルチトラックレコーダーに変わり苦悩し、2005年「SONORITE」の頃にメディア媒体が磁気テープからハードディスクへ移行した際に苦心した話も有名です。彼も58歳になり、そら若い頃の声とは違うし、青山純のドラムもないし、歌詞が震災を意識してわざとらしいという意見もあるけど、「Ray
Of Hope」は完成度が高いアルバムです。
山下達郎が「ぴあ」の100問インタビューのQ75でAKB48について聞かれ、“僕の人生に必要ありません。向こうも同じだろうけど(笑)
”と答えたのが話題になっていますが、AKB48の「会いたかった」や「へビーローテーション」(モーニング娘。の「LOVEマシーン」でも少女時代の「Gee」でもKARAの「ミスター」でもよいけど)も評価していただくようにお願い申し上げます。
エスプレッソ・ポッド(2011年8月)
リーバイスの裾直しができるまで、神戸三田プレミアムアウトレットで時間つぶしをしている時にデロンギの店に立ち寄りました。昨年、診療所の回復室にデロンギのオイルラジエターヒーターを買い、ヨーロッパのホテルを連想して気に入りました。今回はエスプレッソ・ポッド専用メーカーを衝動買いしました。手軽で、手を汚さず、美味しくエスプレッソがいただけます。今は、ムセッティとイリーを楽しんでいますが、小川珈琲なども試してみましょう。
地方の教育part.2(地方のメリットと我が母校)(2011年7月)
私が地方の(福知山の)教育について述べたことに対して、悪い印象を持たれた方や反対の意見をぶつけたい方が多数おられることと思います。いつまでたっても思ったことがすぐ口に出てしまうのは、人間が出来ていない証拠です。また、自分が住んでいる土地のことを悪く言うのはとても見苦しいことです。そんな反省も込めて、今回は教育に於ける地方のメリットについて考えます。
「DEATH
NOTE」の夜神月のように、全国中学生テニス選手権2連覇、高校で全国模試1位をキープし、東応大学法学部主席合格(全教科満点)する人はさすがにいないでしょうが、ごく少数生まれながらに勉強もスポーツも出来る子供がいます。羨ましい限りです。しかしながら、実はこういう人でさえも、大学や大学院や社会では結局努力を要求されます。まして、大半の子供は努力して勉強し、努力してスポーツや芸術を極めないといけません。文武両道(2007年3月)でも述べたように、そこそこの文武両道は出来ても、本当に頑張るならばどちらかに専念しないといけないと私は思います。
京阪神や首都圏に住んでいると、勉強を頑張ろうと思えば、少なくとも小学校4年生くらいからは塾に通い、お受験の準備をしなければいけません。東大寺→京大法学部、灘→東大理科3類、現役灘高生の3人の優秀な息子を持つ同級生は、「小学4年から塾に入って、定まったルートに乗れば良いんや。でも、逆に言うとそのルートに乗らんかったら、・・・。」と言っておりました。二人の子供が洛星から現役で京大と阪大の医学部に入った友だちからは、「息子の塾通いの送り迎えが小学から高校まで大変だった。今は楽になった。」と聞きました。都会に住んでいると、中学受験するか、スポーツや芸術の方向を目指すかを、小学3年生くらいで決定しなければいけません。結局、進路を親が決定することになります。きっと勘違いすることも多いでしょう。
その点、地方に住んでいると、多数の子供は地元の公立中学へ進学し、私立中学に進学する子供も入学試験で基本的な学力を求められるだけですので、思いっきり遊べるし、スポーツできるし、芸術に傾倒できます。(その分野の優れた指導者が地方に存在するかという問題はありますが。)小学生の頃ぐらいは、友だちと真っ黒になって遊んだ方が良いでしょう。
私は、福知山市の共栄学園(現在は京都共栄学園)中・高卒です。創成期に在籍したので、同じ高校に2種類の制服が存在するなど、その構造に矛盾がある学校でしたが、十分楽しい学校生活を送りました。同級生は入学時35名、高校で早稲田高等学院、同志社女子、宮津高などに進んだ人もいて、卒業時は28名でした。クラス替えはやりたくてもできません。同級生には、私よりずっと優秀な人も、ずっとお洒落な人もいて、知的な刺激もミーハーな刺激も与えてくれました。高橋和巳もヨハン・クライフも「Car
Graphic」も「POPEYE」もみんな友だちが教えてくれました。
遊び友だちにも事欠きませんでした。授業中に自作の爆弾を暴発させて(私は好きだった)年配の古典教師をびっくりさせた奴がいました。高校の修学旅行では、登別のちょっと言えない場所に皆で繰り出しました。札幌では、バスガイドから情報を仕入れて、夜中抜け出してすすきのへ飲みに誘ってくれた奴がおりました。先生も知っていて見逃していたならたいしたものです。
長男は中学だけの在籍でしたが、陸上部やクラスで仲良くしてもらった友だちがたくさんいて、たまに福知山に帰ってくると仲良く遊んでいます。少子化や不況で私立学校は大変と聞きますが、我が母校も荒波を乗り越えていただきたいと思います。
リーバイス(2011年6月)
「リーバイスの歴史はジーンズの歴史である。」と言いますが、約30年ぶりにリーバイスのジーンズを2本買いました。普通の505と501のヴィンテージです。30年間でウエストが6インチ増大していることが悲しいです。定番好きの私は、価格の高いデザイナーズ・ジーンズは全然興味ありません。まあ似合わんしね。
そういえば、1977年(昭和52年)に阪大ジーパン論争とやらがありました。この論争は「ジーパンは作業服で、女性はエレガントであってほしい。」というペーダ講師と「ジーパンはもはや日常服。女性にあるべき姿を強制するのはおかしい。」という女子学生の主張が真っ向から対立し、最終的に講師が大阪大学を去るという結果となりました。今は昔のお話です。今や、一流とされ、名高いホテルやレストランや料亭でも、ジャケット着用などの制約があっても、ジーンズで許されるでしょう。むしろ、セレブやセレブ気取りの人種の方が敢えてジーンズを着用するかも知れません。
腕時計(2011年5月)
女性が出かける際に、洋服、バッグ、靴、指輪、ネックレス、時計などのコーディネートを考えるのは大変です。さらに和服の時はもっと面倒くさそうです。その点、男性が身につけるアクセサリーは女性と比べてずっと少なく、時計は男性の装身具として突出して重要なアイテムです。私は、時計に対する興味が少ない方ですし、世の中でG-SHOCKが一番良い時計だと思っている輩ですが、たまに百貨店の方が時計を持って来られた際は興味深く拝見します。(買いませんし、買えませんが。)同じブランドのシリーズでも、プラチナ、ホワイト・イエロー・ピンクゴールド、スティールなど素材の違いや、ブレスレットがメタルかレザーか、大きさの違いや文字盤の色などで、全く印象が変わります。本当に綺麗だなと思う時計がたまにあります。トゥールビヨンなどの複雑腕時計も純粋に美しいです。
自動車の雑誌には腕時計の特集が多いです。車好きには時計好きが多いのでしょう。腕時計のブランドと自動車のブランドの対比は面白いです。パテック・フィリップがロールス・ロイスで、ロレックスがメルセデス・ベンツなのは皆納得ですが、カルティエやブルガリ、ヴァシュロン・コンスタンタンやオーデマ・ピゲ、ブレゲやゼニスがどの自動車メーカーに当たるかは意見が分かれます。ちなみに私はカルティエ=ポルシェ派です。ランゲ=ポルシェ派もいますけれども、確かにランゲ好きの多くはポルシェ好きでしょうが、ポルシェ好きがランゲ好きとは限りません。
お酒part.2(日本酒)(2011年4月)
これまで私も妻も自宅では日本酒をあまり飲みませんでしたが、最近は日本酒がちょっとしたマイ(アウア)・ブームです。
きっかけは、二人で榎本先生に北新地の「割烹
石和川(いわかわ)」に連れて行ってもらったことです。ちちんぷいぷいでもお馴染みの浦上浩さんの料理は綺麗で新鮮で美味です。そこで、色々な種類の日本酒をいただきました。超辛口やフルーティーなものから日本酒臭い濃厚なものまで、堪能しました。その後、榎本先生が「洗心」と「越乃寒梅」を送ってくださいました。どちらも旨いのですが、特に「洗心」は滅茶滅茶美味しい。朝日酒造の「久保田」は父が大好きだったので、今でも常に自宅にありますが、それと比べても「洗心」は別格なお酒です。お酒だけで飲んでも、お刺身など食事と合わせてもどちらでも良いです。
同じ頃に、隣町の西山酒造「小鼓」の「路上有花(ろじょうはなあり)」と「天楽」をいただき、特に前者は大変気に入りました。そこで、妻が西山酒造のコンクール参加商品である大吟醸を2種類手に入れ、二人で幸せな気持ちになりました。シャンパンやワインを合わすのも良いですが、やっぱり和食には日本酒がよろしいです。
地方の教育part.1(プロ講師?)(2011年3月)
長男が京都市内の中高一貫校内部進学コースに編入できることになりました。今回もまた、子供の努力と妻のアシストの結果で、私の関与はありません。都会と地方の格差は多岐にわたりますが、地方に於ける教育の難しさは都会の人にはなかなか理解出来ないかも知れません。勿論、地方の方が良い面もきっとありますし、田舎にいても努力すれば志望校に合格できるし夢が果たせる、というのは真実です。優秀な子供、努力できる子供の割合は地方でも都会でも変わりはないでしょう。しかし、勉強環境の面では雲泥の差です。通信添削やインターネット授業があるではないか、と言う人があるでしょう。前者に関しては、例えばZ会を継続できる子供はそれだけで凄い才能があると思います。中学高校時代の私も長男もZ会にチャレンジしましたが、開封されない郵便物がたまっていくばかりでした。インターネット授業に関しては大いなる可能性があると思いますが、講師の質、授業の場所、時間、費用の面などクリアする課題は多いです。
先日、テニス部の仲間が誘ってくれて、大学の同級生5人と老香港酒家京都で歓談する機会がありました。彼らは、誰でも知っている著名な名門進学校出身者ばかりですが、私の様に虚勢を張ることがなく、皆おっとりしていて優しいです。多大な子供の教育費用に関する嘆きも聞きましたが、田舎ではお金をかけるべき学校や塾もあまりありません。福知山で「プロ講師」が揃っていると謳う塾の講師は、職業が塾の先生というだけで、教え方が上手な訳でも子供のモチベーションを上げる訳でもありません。その理念やアプローチに明らかな錯誤があります。きっと指摘してくれる人がいないのでしょう。しかしながら、やる気満々の優れた教師が地方に存在しないという訳ではありません。どこかに隠れているので、きっと探すのは大変なのでしょうけれども。
同級生の葬儀(2011年2月)
大学の同級生の葬儀に参列しました。学生時代は殆ど会話した記憶が無いのですが、卒業後に彼が京都府北部の公的病院の院長をしていた時に芝蘭会の会合で隣になり、お話ししたことがありました。学生時代は喋ったことが無い同級生と、卒業後にふとアルバイト先の病院とか学会とかで顔を会わせると、懐かしくてつい会話が弾んだ経験が何度もあります。彼は本を読むのがもの凄く速くて、最近まで読んでいた量子力学の本から漫画まであっというまに読破していたと参列者が話しておられました。医者として優秀でかつ人格的にも皆から慕われ、生きていれば今後も活躍したであろう彼が夭折したのはとても残念です。御冥福を祈ります。
葬儀後に二人の同級生とお茶をしに行きました。一人とは学生時代に親しくしており、紀伊半島バイクツーリングやスキーやハワイなど一緒に行っておりました。但し、親のすねかじりの私とは異なり、彼は学費も遊ぶお金もすべて独力で稼いでいました。“コーヒーを外で飲むくらいなら、カレーライスを食べるわ。”と実質的なことをよく言っていましたが、そのくせ貧乏臭いことは皆無で、皆に優しく、周囲から尊敬されていました。現在は私立大学病院の放射線科の責任者ですが、“検査や治療が必要か不要かわからん時、今はとりあえずやっとけとなる。ガイドラインではこうなっているとか。点数もつかないし、病院も儲からないけど、患者さんのために「やらない」という決断をしても良いんちゃうか。”と語っていたのが彼らしくて印象的でした。
もう一人は大阪大学の基礎講座の教授をしています。学生時代からよく勉強しているグループに属していましたので、当然のことながら私とはかけ離れた存在でした。“医者をやめて以来、「ヒトのためになることがしたいのなら医者を続けている!」と自分に言い聞かせつつ、自分の中で湧き出てくるscientificな疑問に対峙し、ひたすらfundamentalな生化学的なプロセスで未解明な問題を追及してきました。その過程で、図らずもガン、神経変性疾患、アレルギーなど、今後人類が克服すべき疾患の治療法開発に繋がるような研究成果も得られてきたことは、本当にありがたいことだと思っています。”と彼はホームページで語っています。阪大教授という世間的に偉い立場にいるわけですが、学生時代よりずっと柔和で謙虚になっていました。それはちょっと衝撃的なくらいで、私は自らを省みて恥ずかしくなりました。
お酒part.1(酒が強い?)(2011年1月)
私が初めてお酒を飲んだのは中学3年の時です。早稲田の法学部を出て新聞記者になった17歳離れた末弟と父が一杯やっている傍らで、京大医学部の学生だった従兄弟と私も酒を飲みました。ブランデーの甘い香りにのぼせました。それから数十年経ち、今でもお酒は大好きです。ワインでもビールでも日本酒でもバーボンでもテキーラでもアクアヴィットでも全部好きです。では酒豪かと言うと、その逆です。酒に飲まれ、武勇伝ならぬ失態を演じたことが数限りなくあります。周囲の人に迷惑をかけて、今思い出すと赤面する事態も多かった。本当にごめんなさい。
兵庫県立尼崎病院に勤めている頃、産婦人科病棟の助産師ら4人と阪神尼崎駅の高架下に飲みに行きました。当時、自分は結構酒が飲める方だと思っていましたが、その自信とプライドは見事に粉砕されました。4人が酒飲みだとは聞いていましたが、女性にしては飲めるくちぐらいに軽く考えていたのが間違いでした。アサヒがスーパードライを新発売した頃です。彼女らはビールならば何本飲むというレベルではなく、何ダースとか何ケース飲むという世界でした。病院まで歩いて帰る途中、道で2回ほど寝ました。まあ、たくさん飲めるから偉いわけではなく、彼女らでもお相撲さんと一緒に飲めばつぶれるわ、と負け惜しみを言っておきましょう。
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