(2014年各種案内)
三高陸上部白銀会 in ちもと(2014年12月)
昭和25年1月24日、“前途遼遠なる君達にして、これから先の人生行路に於いて何かの障礙にゆき当たるであろう時、疑惑の十字路にふみ迷うであろう時、その時は君達は静かに三高三年間の生活を思い出してくれ給え。三高八十年の伝統は、きっと君達のゆくべき道に力強い示唆を与えてくれるにちがいない。われらの心の故里である三高も、君達の卒業の後まもなく無くなってしまうであろう。三高はなくなる。しかし、その精神までは滅びる筈はない。三高精神は永久に生きている。そうしてその精神を体得し得た最後の人は、実に君達であることを銘記してほしい。”と島田退藏校長は最後の卒業生を送り出し、旧制第三高等学校(三高)は終焉を迎えました。
三高陸上部白銀会の同窓会が11月9日に「ちもと」で開催されました。母に誘われて、何十年か振りに、「ちもと」の暖簾をくぐりました。私が子供の頃の白銀会と言えば、舞妓さんや芸妓さんが大広間を華やかに彩り、鴨鍋をつつき、三高の寮歌を歌い、和やかに歓談する会でした。現在は三高卒業生の最若手は83歳ということになり、嘗ての様な大規模な会は開けませんが、105歳の方を筆頭とする会員の皆様と御家族の方にお会いすることができました。御高齢になられてはいますが、各界の碩学の集まりですので、有意義なお話しを聞けました。“金に目が眩む”話をしている時に、“三高の卒業生は金に目が眩まないのが特徴だ”と父の友人が説明されました。“皮相的なものに惑わされないで、本質を探求する”という母校の精神に誇りを持っているのは、羨ましい限りです。最高齢の東洋史の名誉教授に握手をしていただき、励ましていただき、その余りの上品さに感動して、“もうええ歳なのだから、自分も品良く丸くならんとあかんな”と改めて思いました。
芸術の見方(2014年11月)
竹内まりやの7年振りのオリジナルアルバム「TRAD」についての感想や評価には、AMAZONのレビューを見ても、賛否両論があります。これは当たり前のことで、自身が「TRAD」と言っている位ですから、代わり映えしないとか、成長していないとかの否定的な意見は織り込み済みでしょう。以前からの竹内まりやファンにとっては、明日への希望が湧いてくる、待ちわびた作品でしょう。初回限定盤にDVDが付いてくるのは、まだヴィジュアルでもOKよ、と主張しているようです。
11月8日の京都新聞「凡語」が印象的でした。“歌はドーナツです”と奥様の河野裕子さん(故人)が語ったことに対して、永田和宏先生は“言い過ぎる歌は、読み手への不信感がある”と続けて、一番言いたいことをぐっとのみ込んでおく、相手に感じてもらう隙をつくっておくことが大切であり、常々“作者が持っている正解より、読みがおもしろければ、それがその歌の正解。いい歌はいかようにも読み取れる幅がある”と説かれました。“穴あきのドーナツから見える景色。人によって違ったものが見えるのは当たり前だ。誤解を恐れず、自分の見たものを信じる目を養いたい”と「凡語」は結んでいます。
評論家や鑑賞者にブラボーと賞賛されたり、価値なしと酷評をされたりした場合、芸術家は如何に受け取るべきなのでしょう。或いは、自分の意図したものと異なる解釈をされた時は、どう反応するべきなのでしょう。きっと、自らの作品を世に出したからには、論評に対して喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりしながら、“好きにして”の態度が良いのでしょう。
一方、言うまでもなく、私たち一般の鑑賞者は芸術作品に対して、自分の感性で、好きか嫌いか、感動するかしないか、決めたら良いと思います。美術展や博物展、歌舞伎やオペラの観覧をする時にイヤホンで音声ガイドを聞いたり、字幕で解説を読んだりしても私は別に良いと思います。芸術を感性でなく、権威ある説に従って知識として鑑賞しているという批判がありますが、その作品のバックグラウンドを知りながら観覧した方が効率的であり、それによって感性とやらが邪魔されることはないでしょうから。1)鑑賞前、2)鑑賞中、3)鑑賞後のいつ解説を読み聞きするのが良いかは本人の自由です。(芸術に対する私の感性は貧弱であり、高名な芸術家の有名な作品を有難がる人間であることを認めます。)
ブラインドタッチ(2014年10月)
大学で研究の真似事をしている時、キーボード打ち込みの遅さを親愛なる教授秘書にからかわれたものですが、今も大差ありません。
でも、苦節30年、ようやくブラインドタッチができるようになりました。やっぱり遅いけど。
朝日新聞(2014年9月)
朝日新聞の「素粒子」(2008年7月)の最後に、“私は死ぬまで、朝日新聞を読み、週刊朝日を定期購読し、本屋でAERAを立ち読みすると思います。”と書いておきながら、朝日新聞と週刊朝日の購読を同時にやめてから、もう半年以上になります。やめたのは、慰安婦報道や福島第一原発事故「吉田調書」の問題で朝日が謝罪する前です。朝日新聞と讀賣新聞(2013年8月)にも述べたように、どんな新聞にも美点と欠点がありますが、朝日の記事には偏りがありすぎます。それでも、朝日好きだった私ですから、朝日新聞には期待もしています。
ビアンキ(2014年8月)
黒とチェレステのカラーリングのビアンキは長男が乗ってくれているので、ホワイトのビアンキを手に入れました。JABですが、シマノのコンポーネントも普段乗りには十分です。今後、Methanolがどんな乗り心地か試してみたいとは思います。
御三家(2014年7月)
東京の私立御三家は、開成、麻布、武蔵と桜蔭、女子学院、雙葉ですが、例えば東大合格者数や偏差値で見ると各校には随分な差があります。しかしながら、服装や髪型など自由で、まるで大学のような授業形態の武蔵の校風を私は大好きです。また、自分を含めすべての人を大切にできる人、真の知性を養い正しい価値判断のできる良き母親、良き社会人、良き国際人を目指す雙葉もとても良い学校だと思います。妹の子供が雙葉と武蔵で、とても良い子達なので、単なる身贔屓でした。
犬を飼う人のための十戒(2014年6月)
犬を飼う人のための十戒(THE TEN COMMANDMENTS of dog stewardship)を読んで、特に9と10を目にして、涙が出そうになりました。
アイリッシュセターのシャルルが5月25日に亡くなりました。シャルルがいてくれて私は幸せでしたが、シャルルは私といて幸せだったのでしょうか。
京のぶぶ漬け(2014年5月)
4月27日に大学の同級生が3人、福知山の自宅に立ち寄ってくれました。少し太ったり、皺が増えたりしていますが、みんな学生の頃と容貌に大した差は無く、私のみかけが一番しょぼくなっています。どちらも最新型のEクラスカプリオレとX5を拝見できました。
しばし歓談の後、妻が不在であったので、“コーヒーでもいれるわ”と立ち上がるや否や、生粋の京都人である一人の同級生が“ほな、ぼちぼちおいとまするわ”と返しました。すぐに京のぶぶ漬けかと思いましたが、このタイミングで言うのか、と感心もしました。彼は医者にしとくにはもったいないくらいに評論家、或いはコピーライター的な才能を持っています。「ニューヨーク・サファリパーク論」、「ミス・ジョーンズの背徳(ポルノ映画)における哲学」などは特に秀逸ですし、ハナウマベイでパツキンの女の子がビキニの下の方の紐をくくっている様子を見て、「ククッテイル」というコトバを近衛通り界隈に流布したのも彼であります。
阪大医学部/東大理科三類進学(2014年4月)
長男が4月から大阪大学医学部に進学することになりました。とても嬉しく思いますし、“おめでとうございます”と言われれば、今は素直に“ありがとうございます”と答えられます。昨年、“もし両方合格できるとしても京大ではなく阪大の医学部に行きたい”と長男が言い出した時には、正直なところ困惑しました。しかしながら、泉田裕彦新潟県知事でもスマイル党総裁マック赤坂でも京大卒というだけで親近感を持ってしまう私ではありますが、概念としての京大が好きなのであって、部分である京大医学部や京大病院に強く惹かれる訳ではありません。私の父も三高から京大医学部(新制)ではなく阪大医学部(旧制)を選びましたし、榎本先生(当時)や吉野先生を始め、阪大病院には大変お世話になっています。これまで全く知らなかったのですが、吹田、豊中、池田、箕面近辺をうろうろと探索するうちに阪大周辺(吹田キャンパスと豊中キャンパス)がどんどん好きになってきました。カーディーラー、お洒落なカフェや滅茶庶民的かつ美味しい店も豊富です。また、福知山から長男の下宿まで、車ならば1時間かからないくらいの近さです。勉強やクラブ活動など学生生活を満喫してもらいたいものです。
姉の次男は、開成を卒業し、東京大学理科三類に進学することになりました。ちょっと前には、“勉強しないので、学校でも塾でも成績が悪いのよ。”と姉から聞いていましたが、3歳で新聞を読み、中学生で図書室の本をすべて読み、高校生クイズ優勝するなど、私の血縁の中では地頭の良い子なので、短期集中に成功したのでしょう。ゲームなどはほどほどにして、何か有意義な研究をしてほしいものです。
男の子女の子(2014年3月)
長男が卒業した高校の同級生4人が福知山に遊びに来ました。私の頭の中で、18歳の男子のイメージが大きく変わりました。一言で言うと、皆すごくお行儀の良い、スマートな男の子たちです。御両親に大切に育てられたのが、容易に推察されます。
今年の東北大学の入試の際に受験生が仙台駅から試験場に向かうバスが付き添いの親の同乗で満員になり、乗り切れない受験生が続出し、試験開始を遅らせたというニュースがありました。また、私達の頃は体育館で十分だった入学式が、パパ・ママは勿論、ジジ・ババまで総出で参加するために、阪大は4月2日に大阪城ホール、京大は4月7日に都メッセ、東大は4月11日に日本武道館で開催されます。参加できない親のために、入学式の様子をネット配信する大学もあるそうです。入試や入学式の付き添いなどは、子も親もかつては恥ずかしかったものですが、時代は変わりました。昔の大学生は、若気の至りで、妙に大人ぶったり、偽悪に走ったりしたものです。“育ちの良い下品”とか、“上品な不良”とか。最近の若者はお行儀が良く、そつがなく、大言壮語もしないようです。“ノーベル賞とアカデミー賞を両方獲得するぞ”とか、“学校の可愛い子は皆俺のことが好きなんや”とかは言いません。その方が良いような、物足りないような。
4月には長女の同級生4人がやはり福知山に遊びに来ます。今時の女の子はどんなんかな。
オリンピックのメダル(2014年2月)
女子スキージャンプの高梨沙羅選手は、ソチオリンピックまで今季ワールドカップ13戦10勝、チャイコフスキーで3位、プラニツァで2戦連続2位と勝てなかったのがニュースになるほど絶対的な強さを誇っていましたが、オリンピックではメダルに届きませんでした。“自分の力不足” と言い訳しなかった高梨選手に対して、解説の原田雅彦氏が“沙羅ちゃんはこれからも言い訳しないだろうから、代わりに僕が言い訳する”と風に恵まれなかったことの説明をし、工藤三郎アナが“頑張りましたね”と選手の気持ちを慮ってインタビューをしたことが、高く評価されています。高梨選手は試合後にも“今まで一緒に戦ってきた仲間なので
「おめでとう」という気持ちと 「自分もあそこに立ちたかった」という
悔しい気持ちでいっぱいになった”と満点のコメントを残しています。よみうり寸評では、“会ったこともないし、会う予定もないが、帰国したら何と声をかけようか”と高梨選手を思いやっていましたが、全く同感です。オリンピックのメダルを逃しても、真のチャンピオンがSara
Takanashiであることは、世界中の誰もがわかっています。
「GOLD」(2014年1月)
「GOLD」は、日本が右肩上がりの1980年代に青春時代を過ごした40歳台半ばからアラフィフ(50歳前後)をターゲットとしている世界文化社の女性誌です。2013年11月号が創刊号で、バッグ、靴、時計など、バブル世代に愛着があって現代風な味付けもされているブランドが掲載されています。
創刊号のコラムで、妻のANA同期のお姉様で、京大文学部哲学科卒の長坂道子さんは、
“今の50歳はたとえば20年くらい前の50歳とは劇的に違う。『カルペ・ディエム』が生き生きと本領を発揮できる年代だ。”と仰っています。少々都合良すぎかなという印象もありますが、確かに彼女が「25ans」編集部にいた頃とは環境も時代も異なります。
泉麻人や甘糟りり子が、“あの頃は良かったし、今だって良い。”と言ったり、2014年1月号に、(現在では考えられないことだが、)1980年代に20歳代の若者に最も人気があったスポーツであるラグビー特集を載せたり、掴みはまずまずです。今後の展開に期待しています。
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